戦国の名将・北条早雲は24時間をどのように過ごしていたのか?
歴史の偉人から学ぶリーダーの心得
組織の発展には、有能なリーダーが必要不可欠だ。特にビジネスシーンにおいて命題とされるこのテーマは、戦国時代においても同様だった。そこで、小田原北条氏の始祖である猛将・北条早雲の生活ぶりを、当時の史料から紹介。実際に戦国武将は、戦の無い平和な一日を、どのように過ごしていたのか? また、家来に対してどのような考えを抱いていたのか? 起床から就寝まで、当時のリアルな生活を紐解いていく。
■北条5代の礎を築いた名将・北条早雲が自身の生活で示したリーダーとしての姿勢

北条早雲
戦国武将の先駆けとして、伊豆を拠点に勢力を拡大。室町将軍足利義澄の威光を背景として、関東の有力武将であった山内・扇谷両上杉氏の戦いに介入し、のちの氏綱・氏康らへと続く、北条5代の礎を築いた。
■北条早雲による武士の心得が書かれた『早雲寺殿廿一箇条』

『早雲寺殿廿一箇条』国立公文書館蔵

『早雲寺殿廿一箇条』国立公文書館蔵
歴史書『早雲寺殿廿一箇条』では、武士の心得を21ヶ条にわたって記載。仏神の信仰から早寝早起き・掃除・防犯・火の用心などの家政上の注意、出仕時の主君への応対・立ち居振る舞いなどについて説かれている。その中には、当時の早雲の一日が具体的な例として記されている。
【北条早雲の1日の過ごし方】
午前4時〜午前6時[寅(とら)の刻〜卯(う)の刻]
<午前4時 起床>
まだ日が昇らない早朝のうちに起床する。主君が寝坊すると家来の気が緩み、信頼を失う。<午前4時30分 庭の見回り>
屋敷の庭や門外などを見回り、掃除すべきところなどを確認。その後、手水で顔を洗う。<午前5時 妻や家来に用事を申し付ける>
邸内で掃除すべきところやその日の雑務、留守中の申し付けなどを、妻や家来に伝える。<午前5時30分 出仕>
出仕は卯の正刻(午前6時)前までに。日の出前には、主君のもとへ出仕するようにする。
〔出仕した時は状況を見てから主君の前に参上する〕
出仕した際は、まず次の間にひかえ、その日の状況を見てから午前に参上する。
午前6時〜午後2時30分[卯(う)の刻〜未(ひつじ)の刻]
出仕して政務を行う
<午前6時 政務>
家臣数名とともに、領国内における政務や決済、外交関係の業務などの政務を執り行う。<午前8時 朝食>
出仕から2時間ほど経ったら、持参した弁当で朝食をとる。当時は1日2食が通例だった。<午後1時 政務の合間に乗馬の稽古を積む>
武術の稽古はもちろん、政務の合間をみて乗馬の稽古にも励むことが望ましい。文武弓馬は武士の常道として勧められた。<午後2時 仕事を終えて帰宅>
約8時間の政務を終えて帰宅。残業などの例外もあったが、ほぼこの時間が標準だった。<午後2時30分 屋敷まわりの点検>
帰宅したらまずは屋敷の内外を確認。家の垣根などを点検し、必要な修繕を家来へ指示する。<午後3時 夕食>
だいたい14時から15時が、当時の夕食の時間。家族との貴重な団欒の時間でもあった。<午後5時 読書>
少しでも暇があれば書を読む。文字を忘れてしまわないように、日頃から目にする機会を作る。<午後6時 閉門>
夜盗などの災難が降りかからないように、夕方6時には門を閉じる。人の出入りの時だけ開ける。<午後8時 就寝>
翌日を有効に使うため、20時ごろまでには就寝。無駄な夜更かしは、灯し油も無駄にしてしまう。
北条早雲は早寝早起きが基本で、睡眠時間は8時間ほど取っていた。政務中の空いた時間や、在宅時に書を読み、武芸の稽古に励むなど、文武両道を徹底した時間の有効的な使い方に着目したい。