天下人を支えた生活習慣とは? ─信長・秀吉・家康の健康法─
歴史の知恵から学ぶ生活学
「電気」も「ガス」も「水道」もない時代、人々はどのように暮らしていたのか──。電気などが発明され、便利な世の中になった現代と比べ、昔の日本人は生活のなかにあった不便さをいかに埋めていたのか。そこには、長年受け継がれてきた知恵や、工夫があったに違いない。ここでは、武将などの偉人たちが実践していた習慣や、民衆の生活の中にあった工夫を紹介しながら、現代社会でも活用できるような“知恵”を紹介していく。今回は、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三人の天下人が実践していた、「健康法」をピックアップ。
織田信長 ▶ 節酒
豪快なイメージのある信長!実は酒量に気を使っていた⁉

日本酒
ルイス・フロイスが著した『日本史』で「酒を飲まず、食を節し」と評された信長は、主治医である曲直瀬道三の教えである「節酒、節食」を心がけていたという。
豊臣秀吉 ▶ 湯治
娯楽としてではなく治癒方法として好んだ温泉

有馬温泉に立つ太閤・豊臣秀吉像
合戦や家族の他界など、人生の節目ごとに有馬温泉(神戸市)で湯治を行った。とくに正室・ねねと揃って訪れることが多く、現在、有馬温泉には秀吉とねねの銅像がたっているほど。また天正18年(1590)、相模の北条氏を攻めた小田原攻めの際も、陣中で湯治をし、今も「太閤石風呂跡」という史跡が残されている。さらには文禄4年(1595)3月には草津(群馬県)湯治の計画を立てるほど温泉を好んだ。
徳川家康 ▶ 粗食
天下人となってもぜいたくをせず、貫いた粗食主義

麦飯
家康は恰幅(かっぷく)のよい肖像画で知られるが、実は食生活に気を使っていたという記録が残る。江戸幕府が編纂した、徳川家の公式記録『徳川実紀』によれば、日頃は麦飯と豆味噌中心の1汁2菜の食生活を心がけ、ぜいたくは月に数度だけであったという。家康は当代きっての健康オタクとして知られ、行軍や長旅の疲れを癒すため、現在でも有名な温泉地として知られる熱海で湯治をするなどの記録も残されている。戦国武将のなかでもとくに自身の体に気をつかった人物である。