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日本経済隆盛の礎を築いた渋沢栄一の威風を東京のど真ん中で感じる

渋沢栄一の足跡


今話題の大河ドラマ『青天を衝け』の主人公・渋沢栄一の姿が東京の真ん中で見ることができるのが千代田区大手町にある「常盤橋公園」である。栄一像が立つ広々とした常盤橋公園は、コロナ禍でも安心して大河ドラマの世界に触れられるスポットでもある。ここでは、栄一像にまつわる歴史とともに秘められた逸話を紹介していく。


 

日本一のビジネス街の中心に凛々しい姿で立っている渋沢栄一像

常盤橋公園の渋沢栄一像
日本経済に大きな影響をもたらした渋沢栄一らしく、現在の日本経済の中心地として大手商社が立ち並ぶ千代田区大手町のど真ん中に燦然と立っている。

 渋沢栄一の銅像は、都内に3体もある。1つは北区の飛鳥山公園に、もう1つは千代田区の東京商工会議所にある。今回紹介するのは、さらにもう1つの常盤橋公園(東京都千代田区大手町2丁目7-2)の渋沢栄一像である。

 

 実は、この渋沢栄一銅像は、2度も建てられていた。1度目に建てられてたのは、昭和8年(1933)11月11日のことで、この日は栄一の命日でもあった。製作したのは「東洋のロダン」と称された彫刻家の朝倉文夫(1883~1964)である。

 

 昭和16年(1941)に日本が真珠湾攻撃を行い、第二次世界大戦がはじまった。しかし、日本は資源が乏しく、やがて金属が不足したため、栄一の銅像は軍に供出され、撤去されてしまったのである。

 

 再び栄一の銅像が人々の目の前に姿をあらわしたのは、昭和30年(1955)のこどである。銅像を製作したのは、1度目と同じく朝倉文夫だった。「近代日本資本主義の父」と称された栄一の姿をよく伝える銅像として。高く評価されている。

 

常盤橋の奥に見えるは日本銀行
栄一像の真後ろには、栄一が創業に尽力した日本銀行が立つ。そして栄一と同じ方向を見ると大手町の高層ビジネスビル群がそびえ、日本資本主義の父の銅像が立つ場所として感慨深い場所となっている。

 銅像のある常磐橋公園は江戸城の城門の一つ常盤橋門があった場所でもあり、財団法人渋沢青淵翁記念会(しぶさわせいえんおうきねんかい)が昭和8年(1933)に復旧および整備を行ったものである。当時は旧東京市の管轄下にあった。現在は、千代田区立の公園である。

 

 なお、現在も残る城門の石垣は、「常盤橋門跡」として国の史跡に指定された。常磐橋公園は梅の名所としても知られ、今も多くの人が訪れている。場所は、東京メトロ銀座線・半蔵門線「三越前駅」B1出口から徒歩5分である。

 

常盤橋門跡
江戸城外郭の正門にあたる重要な門で、石垣が現存。江戸時代には奥州道へと通じる玄関口の門であり、「江戸五口」のひとつに数えられた。江戸城創建当時は別称であったが、3代将軍・徳川家光が常盤橋門と名付けたとされる。

常盤橋公園

[住所]東京都千代田区大手町2丁目7−2 常盤橋公園内

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渡邊 大門わたなべ だいもん

1967年生。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。『本能寺の変に謎はあるのか? 史料から読み解く、光秀・謀反の真相』(晶文社)、『清須会議 秀吉天下取りのスイッチはいつ入ったのか?』(朝日新書)『真田幸村と大坂夏の陣の虚像と実像』(河出ブックス)など、著書多数。

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