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新1万円札の顔、渋沢栄一の故郷・埼玉県深谷市にそびえる、ゆかりの駅舎

新1万円札の顔として、現在NHK大河ドラマ『青天を衝け』の主人公として、今、もっとも注目を浴びる話題の歴史の偉人・渋沢栄一。“近代日本資本主義の父”として数々の偉業を成し遂げ、500以上の企業、600以上の事業に関わってきた。全国を舞台に動き、そして今も各地に残る渋沢栄一ゆかりの地を自身の偉業とともに紹介していく。

 

 

故郷・深谷に薫る渋沢栄一への畏敬の念
功績に紐づいて煉瓦風で建てられた駅舎を望む

 

渋沢栄一

渋沢栄一肖像(国立国会図書館蔵)

 

 天保11年(1840)3月16日、渋沢栄一は渋沢市郎右衛門元助と「ゑい」の子として、武蔵国榛沢郡血洗島村(埼玉県深谷市血洗島)に誕生した。渋沢家は米、麦、野菜だけでなく、藍玉の製造販売と養蚕を兼業する富農だった。栄一が起業家として活躍した原点は、渋沢家の商業的な才覚に求められよう。

 

 JR高崎線の深谷駅前には、腰掛けた渋沢栄一の像がある。昭和63年(1988)3月、澁澤栄一銅像建設協賛会によって建立されたものだ。

 

深谷駅

故郷・血洗島村(現・埼玉県深谷市)にある深谷駅前の渋沢栄一像。銅像が立つ広場は、学問の師である尾高惇忠につけてもらった栄一の号「青淵」にちなんで青淵広場と名付けられている。

 

 碑文には「先生は常に道徳と経済の合一を説かれ、その思想を経営の基本とされました。先生を追慕する私達は、朝夕その教えを守り、後世に余光の及ぶことを祈念してここにこの像を建立しました」と書かれており、栄一に対する顕彰の念が込められている。

 

 深谷駅が開業したのは、明治16年(1883)10月21日のことである。明治39年(1906)に国有化された。明治28年(1895)7月には、日本煉瓦製造の専用鉄道線が敷設されるなど、煉瓦とのゆかりが深い(専用鉄道線は昭和50年〔1975〕に廃止)。

 

 深谷駅が東京駅を模して、外観が煉瓦調になったのは平成8年(1999)7月のことである。大正時代に竣工した東京駅(丸の内口駅舎)には、深谷市の日本煉瓦製造で製造された煉瓦が使われていたので、その外観を模したのである。

 

 しかし、実際の深谷駅は煉瓦作りではなく、コンクリートの壁面に煉瓦風のタイルを貼ったものである。とはいえ、非常に趣のある駅舎なので、ぜひ訪ねてみたい。

 

深谷駅

現在の深谷駅。煉瓦風づくりの駅舎は、栄一の功績に紐づいている。栄一が故郷・深谷で創業した日本煉瓦製造株式会社で生産されたした煉瓦は、深谷駅に運ばれ、東京駅、日本銀行など、当時を物語る多くの建物に使われたという。

 

深谷駅
[住所]埼玉県深谷市西島町1丁目1、見学自由

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過去記事

渡邊 大門わたなべ だいもん

1967年生。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。『本能寺の変に謎はあるのか? 史料から読み解く、光秀・謀反の真相』(晶文社)、『清須会議 秀吉天下取りのスイッチはいつ入ったのか?』(朝日新書)『真田幸村と大坂夏の陣の虚像と実像』(河出ブックス)など、著書多数。

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