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日本資本主義の父・渋沢栄一が最期を過ごした終の棲家─都内の桜の名所となる─


近代日本資本主義の父、新1万円札の顔、NHK大河ドラマ『青天を衝け』の主人公など今もっとも注目を浴びている歴史の偉人・渋沢栄一のゆかりの地をその偉業とともに紹介していく連載の2回目。“生誕地”である深谷市と深谷駅を特集した前回に続き、今回は渋沢栄一の“最期”にスポットをあててお届けしていく。


 

栄一“終の棲家”が建っていた飛鳥山 今も栄一ゆかりの建造物が建ち並ぶ

飛鳥山公園内、晩香廬の脇に立つ渋沢栄一像。栄一の像のなかでは、比較的若い時代の姿を表現しており、ポーズも躍動感あふれる銅像である。

 渋沢栄一といえば、東京都北区と実に縁が深い。東京都北区西ヶ原にある飛鳥山公園の南側の一角は、渋沢栄一の自邸「曖依村荘」(あいいそんそう)があった場所でもある。

 

 曖依村荘は明治11年(1878)に渋沢家の別荘として建築され、明治34年(1901)から本邸として使用されるようになった。栄一が昭和6年(1931)に亡くなった場所も曖依村荘である。しかし、残念なことに、曖依村荘は昭和20年(1945)4月の空襲によって、大半が焼けてしまった。

 

 焼失を免れたのが庭園内の「晩香盧(ばんこうろ)」と「青淵(せいえん)文庫」である。ともに国指定の重要文化財だ。晩香盧は洋風茶室で、栄一の喜寿を記念して、大正7年(1918)に竣工した。木造平屋建て。屋根は桟瓦葺き。栄一はこの建物を好み、国内外の政治家や財界人、文化人などを招き、91歳で亡くなるまで民間外交の場として使用した。一方の青淵文庫は図書館で、栄一の傘寿と子爵への昇進を祝して竜門社(渋沢栄一記念財団の前身)が寄贈した鉄筋コンクリートの建物。大正14年(1925)に竣工した。なお、「青淵」とは栄一の雅号である。当初は『論語』をはじめ、多くの漢籍が収蔵されていたという。

 

栄一の喜寿を祝して清水組(現・清水建設)の4代目当主・清水満之助が謹呈した「晩香蘆」。建物名は自作の漢詩「菊花晩節香」にちなんでいる。

 

栄一の書庫として、また接客の場としても使用された「青淵文庫」。渋沢家の家紋「丸に違い柏」に因んで柏の葉をデザインしたステンドグラスやタイルで装飾されている。

 飛鳥山公園には、栄一ゆかりの博物館が数多い。北区飛鳥山博物館では令和2年7月23日~令和3年12月26日まで、常設展示ミニ展示「渋沢栄一と北区」が催され、「渋沢×北区 青天を衝け 大河ドラマ館」も好評だ。近くの渋沢史料館でも、栄一に関する展示が行われている。

 

 なお、栄一は王子製紙株式会社の前身である抄紙会社を明治6年(1873)に創業したので、紙の博物館にもぜひ参観したいものである。

 

 現在、コロナの影響もあり、博物館等では入場制限や予約制をとっているところもあるので、訪れる際にはあらかじめ確認をしておきたい。

 

飛鳥山公園
[住所]東京都北区王子1丁目1−3

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過去記事

渡邊 大門わたなべ だいもん

1967年生。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。『本能寺の変に謎はあるのか? 史料から読み解く、光秀・謀反の真相』(晶文社)、『清須会議 秀吉天下取りのスイッチはいつ入ったのか?』(朝日新書)『真田幸村と大坂夏の陣の虚像と実像』(河出ブックス)など、著書多数。

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