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教科書の「足利尊氏」の肖像は足利尊氏ではなかった?[日本史の新常識]

今月の歴史人 Part.4


みんなが知っているあの″顔”に、実は違う人だったのではないか、という説がでている。そのなかで代表的なのが、「足利尊氏」の肖像画。松平定信編纂の「集古十種」を根拠として、今まで「足利尊氏」の肖像画としていたものは、現在では教科書への掲載がほぼなく、掲載の場合は「南北朝の争乱の頃の騎馬武者の像」となっている。


 

■画像の主は、高師直か師詮の2説が有力

諸説ある騎馬武者像 長年、像主は室町幕府初代将軍・足利尊氏と伝えられてきたが、花押は2代将軍・足利義よし詮あきらのもの。今日では高こうの師もろ直なお、師詮説が有力。 京都国立博物館蔵/ColBase

諸説ある騎馬武者像 長年、像主は室町幕府初代将軍・足利尊氏と伝えられてきたが、花押は2代将軍・足利義詮らのもの。今日では高師直、師詮説が有力。 京都国立博物館蔵/ColBase

 

 髭ひげを蓄えた甲冑姿すがたの男が馬に乗っているこの画像、「誰ですか?」と聞かれたならば、昭和生まれの人ならば「足利尊氏」と答えるであろう。しかし、有名なこの画像は、今では「南北朝の争乱の頃の武士の像」や「騎馬武者像」などと表記され、教科書によっては掲載すらない。なぜこのようなことになったのか?

 

『集古十種』を編纂した松平定信寛政の改革を推進した幕府の老中・松平定信。定信編纂の図録集『集古十種』で、武者絵が足利尊氏とされていたことが、現代まで武者絵が尊氏と考えられてきた理由。画像はご祭神として松平定信を祀る福島県の南湖神社の定信像。

『集古十種』を編纂した松平定信寛政の改革を推進した幕府の老中・松平定信。定信編纂の図録集『集古十種』で、武者絵が足利尊氏とされていたことが、現代まで武者絵が尊氏と考えられてきた理由。画像はご祭神として松平定信を祀る福島県の南湖神社の定信像。

 

 そもそもこの画像は、現在は京都国立博物館に保管されている。江戸時代までは誰が所蔵していたかは不明である。江戸時代後期の幕府老中松平定信が編纂した古宝物図録集に『集古十種』があるが、そこにはこの画像は「足利尊氏像」と記されていた。この画像は足利尊氏を描いたものと信じられてきた理由だ。しかし、この画像の像主は「尊氏ではないのではないか」という疑義は戦前から出されていた。

 

江戸時代の歌舞伎にも登場する高師直史実の高師直は南北朝時代に足利尊氏の側近だった武将だが、その実在人物とは違った人物像として江戸時代の歌舞伎の演目に登場する。人気の歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』では悪役として描かれている。 国立国会図書館蔵

江戸時代の歌舞伎にも登場する高師直史実の高師直は南北朝時代に足利尊氏の側近だった武将だが、その実在人物とは違った人物像として江戸時代の歌舞伎の演目に登場する。人気の歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』では悪役として描かれている。
国立国会図書館蔵

 

 まず、室町時代の史料などに記された尊氏像とは異なり、愛馬も画像のような黒毛ではない。尊氏ほどの武将がこのような総髪、矢折れ抜刀した姿で描かれるとは考えにくい。画像の上部にある花押(サイン)は尊氏の子・足利義詮(足利幕府2代将軍)のもの、子が父の頭上に花押を据えることへ疑問が寄せられていた。

 

 そして戦後に、本画像の研究は更に進展。次のような見解が登場する。画像に描かれた人物は、足利義詮か足利氏に関係が深い武将ではないか。描かれた武具は高級なもので、鎧・太刀は鎌倉中期以前のものと推測されるので、高い家格を誇る者なのではないか。太刀の柄の目め貫ぬきと馬具に描かれた家紋は、輪違紋であり、これは高氏(高階氏)の家紋である。

 

 このような観点から、画像に描かれた人物は、足利氏に仕えた高氏一族、もしかしたら高師直(足利家の執事)やその子・師詮ではないかという主張が有力となっている。画像は、高師直・師詮の2説が有力であり、決着は付いていない。

 

監修・文/濱田浩一郎

『歴史人』11月号「日本史の新常識」より)

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