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「憲法十七条」は聖徳太子がつくったものではない⁉[日本史の新常識]

今月の歴史人 Part.1


歴史の研究は日々進んでいる。わたしたちが教科書で習った史実も日々塗り替わっている。ここでは「聖徳太子」の業績として教わった「憲法十七条」が実際には聖徳太子のものではないという新説を紹介。そもそも、太子の業績の多くが現在では彼の業績であるかが曖昧となってきている。


 

■聖徳太子の業績の多くが 過剰評価であると否定

聖徳太子像聖徳太子の業績は『日本書紀』で大きな粉飾があったと考えられるため現在の歴史教科書では、厩戸皇子の活躍が触れられないケースが多い。奈良国立博物館 ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

【聖徳太子像】聖徳太子の業績は『日本書紀』で大きな粉飾があったと考えられるため現在の歴史教科書では、厩戸皇子の活躍が触れられないケースが多い。(奈良国立博物館/出典: ColBase)

 

 聖徳太子は、日本の歴史上、代表的な人物の一人といってよいが、近年、その評価をめぐってはゆれ動いている。どういうことかというと、太子の超人的な能力はもとより、推古朝において太子が関与したとされていた業績が全否定されてきているのである。

 

 たとえば、第1条に「和を以て貴とうとしとし、忤さかふること無きを宗とせよ」とある憲法十七条もそうである。憲法十七条は、『日本書紀』に「皇太子、親みづから肇はじめめて憲法十七条を作りたまふ」と記されているのであるが、太子の制定ではないというのである。

 

 それは、太子の生きた飛鳥時代にはない言葉が使われているからである。第12条に「国司」という用語がみられるがこれなど典型である。国司は地方官の名称であるが、大宝元年(701)に制定された大宝律令以降に用いられたものである。 しかし、これに対して、『日本書紀』が成立したのが養老4年(720)であることから、憲法十七条はあったが、のちに字句の修正がおこなわれたと考えることもできるため、問題は残されているといえる。

 

監修・文/瀧音能之

『歴史人』11月号「日本史の新常識」より)

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