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毛利・宇喜多2強体制から分割された「中国」勢力図

戦国武将の領土変遷史㉖

梟雄(きょうゆう)の息子・宇喜多秀家は関ヶ原合戦後に配流

東京都八丈町大賀郷にある宇喜多秀家の石像。直家の子・秀家は秀吉の政権下で五大老の一人にのし上がる。しかし、関ケ原の戦いで西軍についたため秀家が配流となり、宇喜多氏は滅亡してしまう。

 織田信長(おだのぶなが)と毛利輝元(もうりてるもと/元就の孫)の対立はさらに深まり、天正10年(1582)4月には毛利氏に仕える清水宗治(しみずむねはる)が籠(こも)る備中高松城が秀吉軍により包囲されている。

 

 毛利方は吉川元春(きっかわもとはる)・小早川隆景(こばやかわたかかげ)を援軍として差し向ける。そうした時に起こったのが、信長が家臣の明智光秀(あけちみつひで)により殺害されるという本能寺の変(6月2日)であった。

 

 6月3日には使者が秀吉のもとを訪れ、信長自害の報を伝える。秀吉も動揺しただろうがわずかの間だった。秀吉は迅速に毛利氏との和睦交渉を開始したからだ。

 

 毛利方は信長の死は知らず、秀吉と講和をしたがっていた。秀吉の和睦の条件は備中・美作(みまさか)・伯耆(ほうき)国の割譲を要求するものであり、これは当初の備後・出雲要求を格下げしていた。

 

 もうひとつの条件は、高松城主・清水宗治の切腹であった。6月4日、宗治切腹。秀吉は、高松城に杉原家次(すぎはらいえつぐ)を入れると、すぐに東方に向かう。毛利氏は6月4日の夕方に信長の死を知ることになる。その後、山崎の合戦で、秀吉が光秀を討ち天下人への道を駆け上がってゆく。

 

 毛利攻めに参加していた宇喜多(うきた)氏は直家の死後、子秀家(ひでいえ)は秀吉政権下において備前、美作、備中国を領し、いわゆる「五大老」のひとりにもなる。だが、秀吉死後の関ヶ原の戦いにおいて西軍についたため、戦後、秀家は八丈島に配流となり、大名としての宇喜多氏は滅亡した。

 

大坂の陣後、反故にされた家康との約束

 

 秀吉を追撃しなかった毛利輝元も、秀吉に服した。そして広島城を築き、秀吉からは安芸、備後、周防、長門、石見、出雲、隠岐、伯耆、備中国112万石を与えられるのであった。さらには、輝元も秀家と同じ五大老のひとりとなる。

 

 しかし、毛利氏の悲劇も秀吉死後にやって来る。徳川家康と反目する石田三成(みつなり)らに西軍の総大将として担ぎ出された輝元。彼は大坂城に入城すると、四国や九州方面での勢力伸張を図る。が、その一方で、輝元は関ヶ原合戦の前日慶長5年(1600)9月14日に徳川方と和睦している。その結果、輝元が関ヶ原本戦に加わることはなかった。

 

 しかし戦後、家康は、輝元が西軍を指揮していたことを理由に、輝元と交わした所領安堵の約束を反故(ほご)にする。毛利氏は大幅に領土を削られて、長門・周防2カ国のみとなってしまう。輝元は出家し、家督は長男の秀就(ひでなり)に譲られた。

 

 毛利氏が治めていた安芸国には、関ヶ原合戦で東軍に味方した福島正則(まさのり)が入る。しかしその正則もまた広島城の修築を徳川幕府に無断で行ったとして、元和5年(1619)改易となる。正則が改易された後、広島に入ったのは、浅野長晟(あさのながあきら)であった。

 

 長晟は大坂冬の陣・夏の陣(1614〜1615)で戦功を立てていた。乱世は終結、天下泰平の世となり、以後、幕末まで、安芸国は浅野氏が統治することになる。

 

 また、尼子(あまご)氏の残党は、山中鹿介(やまなかしかのすけ)が著名であるが、他にも興味深い武将がいる。亀井茲矩(かめいこれのり)である。茲矩の父は、湯左衛門尉永綱(ゆさえもんのじょうながつな)という尼子の家臣であった。しかし、尼子氏が永禄9年(1566)滅亡すると9歳の茲矩は流浪の身となる。元亀3年(1572)には、因幡の井村(いむら)氏のもとに身を寄せたという。

 

 その後、山中鹿介と出会った茲矩は、鹿介の養女(亀井秀綱の娘)を娶(めと)り、亀井の名跡を継ぐことになる。鹿介とともに、尼子再興のため、毛利方と戦う茲矩。が、尼子再興はならず、茲矩は信長そして秀吉に属し、活躍。

 

 朝鮮出兵にも従軍している。関ヶ原の戦いでは東軍に属し、因幡鹿野(いなばしかの/約3万石)を領し、農業・産業振興、シャムと交易を行うなど多彩で壮大な活動をして慶長17年、56歳でその生涯を閉じた。

 

 その後、子孫はかつて争った毛利との境界、石見国の津和野藩に転封することになる。

 

監修・文/濱田浩一郎

『歴史人』202210月号「戦国武将の勢力変遷マップ」より)

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