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陶氏・大内氏を滅亡させた毛利元就の「謀略」

戦国武将の領土変遷史㉔

陶氏謀反にも一枚噛んでいた元就の謀将ぶり

毛利元就は厳島の戦いで陶晴賢を破り、その後、周防・長門を手に入れ、九州への進出を狙う一方、石見の銀山を奪うため、宿敵であった尼子氏がおさえる石見・出雲方面へ進軍する。都立中央図書館蔵

 天文20年(1551)、陶晴賢(すえはるかた)は主君・大内義隆(おおうちよしたか)に謀反(むほん)。義隆は自害して果てたが、陶氏は、突発的に謀叛を決断したのではない。すでに、天文19年8月には、毛利元就(もうりもとなり)に書状を送り、主君・義隆を廃し、その嫡男・義尊(よしたか)を擁立する意向を伝えていた。陶氏謀反には、謀将・元就も一枚噛んでいたと言えよう。

 

 天文22年、陶氏は、石見国三本松城(島根県津和野町)の吉見正頼(よしみまさより)を討つべく兵を向けようとする。毛利氏のもとにも、吉見討伐に加われとの要請があった。毛利氏は参戦しなかったばかりか、毛利の重臣たちは、晴賢との戦を主張する。元就も大内・陶氏と決別する事を決意する。

 

 毛利氏の軍勢3000は出陣し広島湾周辺(佐東郡、廿日市/はつかいち、厳島)を占領する。当然、陶晴賢は怒り「大内家から恩を受けながら裏切るとは許さん。無道の所行だ」として、毛利討伐軍(宮川甲斐守の軍勢3000)を向かわせた。元就は、桜尾(さくらお)城に拠っていた。一方、宮川の6000に膨らんだ軍勢は、桜尾城を見下ろす折敷畑山(おしきばたやま)に陣を置く。毛利の家臣は、籠城戦を主張したが元就はそれを抑えた。元就は野戦を挑む。

 

 毛利の軍勢は城を出る。部隊は3手に分かれた。正面の部隊が攻めかかると見せて、退く。宮川方の軍勢がそれに誘き寄せられて攻めてきたのを、左右の2部隊が側面から攻撃を仕掛けた。大将の宮川甲斐守は戦死。毛利方は敵首約700を挙げた。

 

 宮川甲斐守が敗死した事を知った陶晴賢は、吉見氏と停戦。今度は毛利氏との戦の準備に入る。

 

 天文24年には、2万の大軍で山口から出陣。元就は、厳島神社の東にある有の浦に、宮尾(みやお)城を築く。陶方は、何度かこの小城を攻撃するが、落城させる事ができない。よって晴賢は一気に軍勢を繰り出し、宮尾城を落とす作戦に出る。

 

 9月21日、晴賢は2万の軍勢で厳島に上陸。宮尾城を見下ろす塔の丘を本陣とした。晴賢出陣の報を受けた元就は、4000の軍勢で草津城に到着(9月24日)。28日には、来島通康(くるしまみちやす)率いる約200艘の船が毛利方として来援。

 

 30日、元就は2000の軍勢で、厳島東岸の包が浦に上陸し、晴賢の本陣を見下ろす博奕尾(ばくちお)に進出した。 そして小早川隆景(こばやかわたかかげ)率いる1500の軍勢(別働隊)は、厳島神社大鳥居前で陶方の援軍を装い、待機していた。10月1日、毛利本隊と別働隊は陶晴賢の本陣を挟み撃ち。これにより陶軍は混乱状態となり、晴賢は自害して果てる。陶軍の死者は約4000と言われている。

 

 戦後、周防国に侵攻した毛利軍は、陶氏家臣の抵抗に苦戦しながらも、諸城を攻略。大内義長(よしなが)は、長門市勝山城(山口県下関市)に入るが、そこも毛利の軍勢に包囲され、4月2日には落城の危機に晒される。翌日、義長は長福寺において自刃。大内氏は滅亡した。

 

尼子氏を第2次月山富田城包囲戦で降伏させる

 

 永禄5年(1563)7月、元就は、約1万5000の軍勢を率いて、吉田郡山城を出陣。毛利方の攻撃の対象となったのは、白鹿(はくろく)城であった。白鹿城は、宍道湖(しんじこ)の北岸に位置する尼子方の支城。この城を落として、尼子氏の本城・月山富田城を孤立させる作戦に出た。

 

 8月13日、白鹿城に総攻撃をかけ、10月下旬についにこれを降伏させる。本丸をなかなか落とすことができなかったのだ。 いよいよ、月山富田城攻めである。しかし元就の巧みなところは、すぐに総攻撃をかけるのではなく、尼子の拠点を押さえていき、城への補給路を断っていったことだ。

 

 富田城への攻撃は永禄8年4月17日に行われた。毛利方は3方から攻撃をかける。すぐに城が落ちることはなかった。毛利は一旦攻撃を中断。攻撃再開は9月になってからであった。力攻めを毛利方はせず、城を兵糧攻めにした。脱走兵も現れ、翌年11月、尼子義久(あまごよしひさ)はついに降伏する。義久は助命され毛利氏の客分として過ごした。

 

監修・文/濱田浩一郎

『歴史人』202210月号「戦国武将の勢力変遷マップ」より)

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