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「北の関ヶ原」で政宗は最上義光からの援軍要請にどう答えたのか?

戦国武将の領土変遷史③

家臣・片倉小十郎景綱が妙案を具申

慶長5年7月に政宗は家康の指示により上杉方の白石城を攻め、翌日陥落させる。しかし、上杉方と翌月の返還を約束し、和睦してしまった。

 秀吉病没後、天下を目指した家康は、その手始めに会津・上杉景勝の討伐を命じた。慶長5年(1600)7月、この機会に旧領奪回を目論んだ政宗は、大坂から自領の北目(きため)城に戻ると、上杉領の刈田郡・白石(しろいし)城に攻め寄せた。「北の関ヶ原」といわれる合戦の始まりである。

 

 元来、政宗の所領だった刈田郡は、秀吉によって蒲生領とされ、その後上杉領になっていた。白石城代・甘粕景継(あまかすかげつぐ)は会津・若松城に詰めており、留守を景継の甥・登坂勝乃(とさかかつのり)が預かっていた。また大崎・葛西の旧臣たちも立て籠もっている。

 

 奥州街道から城下に入った伊達勢は、白石城を包囲。本陣を城の北方・陣場山に構えた。ここは白石川を挟んで城下を一望できた。そして町屋・外曲輪・三の丸に放火、炎上させてから総攻撃を命じた。刈田郡の猛攻は続き、夜半には本丸を除く全てを制圧。翌日には降伏した。政宗は9年ぶりに他人のものになっていた伊達の地に立ったのであった。

 

 政宗はさらに南進して福島城を攻撃するつもりであった。だが石田三成(いしだみつなり)の挙兵を知った家康は、同じ25日に下野(しもつけ)・小山で軍議を開き「会津討伐中止・反転西上」を決定した。その家康の内意を受けて、政宗は南進を取り止め、撤兵したのだった。

 

 一旦は収まったかに見えた「北の関ヶ原」だったが、9月13日になって直江兼続(なおえかねつぐ)を大将とする上杉軍2万に山形城の支城・畑谷(はたや)城が攻められ落城した。しかも庄内方面からは、上杉軍別働隊3千が山形盆地に押し寄せて来るという情勢であった。

 

 山形城・最上義光(よしあき)は政宗の母・義姫(よしひめ/保春院/ほしゅんいん)の兄であり、政宗には伯父になる。そして義光の動員兵力は7千しかなく、とても上杉軍には太刀打ちできない。義光は政宗に援軍の派遣要請を行ってきた。

 

 義光とは戦ったこともあり、以前から義光を信頼できる相手とは思っていない政宗である。熟考した結果、軍師で家老の片倉小十郎景綱(かたくらこじゅうろうかげつな)に意見を求めた。景綱は「別働隊を援軍と称して山形城付近に送り込んだうえで」として2つの策を具申した。

 

 1つは、上杉軍と協力して義光を討ち、最上領を2分する。もう1つは、最上・上杉の戦いを傍観し、勝敗が決した後で多分勝利しながらも多くの損害を出すであろう上杉軍を叩く。その間に伊達軍主力は上杉領に侵攻して景勝を討ち滅ぼし、一挙に最上領・上杉領を奪い取る、という策であった。

 

 政宗は「漁夫の利」を狙い「後者」を取り、叔父・留守政景(るすまさかげ)に3千を預けて最上領に向かわせた。

 

 一方、最上領・山形盆地に侵攻した上杉勢は、山形城の南西6キロに位置する長谷堂(はせどう)城を包囲した。南北640m、東西410mの独立した丘陵上にある小さな山城である。周囲には深田があり天然の要害になっている。城将は志村高治。城兵は5千余。兼続は17日から攻撃開始したが、城内からの反撃もあって戦線は膠着し、勝敗は見通せない。

 

 21日、伊達の別働隊が山形盆地に入り、山形城の東方・小白川に布陣して傍観した。長谷堂城攻防はこのまま膠着状態が続くと見られたが、9月29日になって「15日に僅か半日の戦いで東軍勝利」の報が入ってきた。政宗は愕然とした。「20万が激突する大会戦である。決着には1カ月は掛かろうと思っていたが、僅か半日で終わるとは」。同様に関ヶ原合戦の敗報を知った景勝は、兼続に早馬を送り、即時撤兵を命じた。

 

 政宗は30日になって、家康からの正式な書状を受け取った。書状は、上杉との合戦も見合わせるように、ということでもあった。

 

 政宗はやるせなさからの鬱憤(うっぷん)晴らしに、10月5日に再び上杉領に侵攻し本庄繁長(ほんじょうしげなが)が守る福島城を攻撃した。鉄砲を撃ち込み、打って出た騎馬武者100人を討ち取った。落城寸前まで追い込んだ政宗は、攻撃をそこまでにして撤兵した。これ以上やって家康を怒らせないことを考えたのであった。関ヶ原後、上杉家は15万石に減封されて米沢に移封になる。

 

監修・文/江宮隆之

『歴史人』202210月号「戦国武将の勢力変遷マップ」より)

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