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東北の戦国前夜─だれが強く、どのような勢力が支配したのか?─

今月の歴史人 Part.1


戦国時代の戦いや勢力図などはおおまかにイメージできる人も少なくない。が、戦国時代突入直前の情勢は意外と知られていない。ここでは「東北地方」にスポットを当て、「戦国時代突入前夜」の様子を解説していく。


 

■14男7女をもうけた稙宗だが強引な婚姻に反発する領主も

伊達政宗 のちに東北に旋風を巻き起こすこととなるのだが、彼が出現する前の東北はいかなる情勢だったのか?

伊達政宗 のちに東北に旋風を巻き起こすこととなるのだが、彼が出現する前の東北はいかなる情勢だったのか?

 奥州伊達家は鎌倉政権と奥州藤原氏が戦った文治5年(1189)の奥州合戦で、論功行賞として源頼朝から陸奥国伊達郡の地頭職を得た中村氏が常陸国から下向して土着。その庶流が土地名から「伊達」を名乗り、国人領主としてこの地域に勢力を張った。その9代目に「政宗」がいて、南北朝の争いに乗じて近隣の信夫・黒川・亘理・伊具・宮城などを傘下に収めた。以後も徐々に諸郡に侵攻して、その勢力は陸奥・出羽にまで及んだ。

 

 だが陸奥・出羽の両国には探題職が置かれ、陸奥探題は大崎氏が世襲した。これに対して伊達氏は12代・成宗が室町将軍家に接近し親密さを増した。その勢いは14代・稙宗(たねむね)に至って12代将軍・義晴から前例のない「奥州守護職」を拝領し、大崎氏を圧倒した。

 

 奥州守護職となった稙宗は、周辺の国人領主との間で積極的に婚姻や養子縁組を結んで血縁関係を軸にして主従関係を築こうとした。南奥羽のトップの地位に上り詰めるための手段であった。この時代には国人領主や戦国大名が婚姻関係を結ぶことで勢力拡大や自己保身を計ることは当たり前にあった。だが稙宗の場合は14男7女という子どもがいたために、婚姻関係の規模が他を圧した。さらには奥州守護職という権威を背景にするなど、強引な婚姻関係の強化もあり反発する領主も現れた。

 

 婚姻関係の例を見ると、妹を出羽探題の最上家に嫁がせ、娘たちもそれぞれ相馬家・蘆名家・二階堂家・田村家など有力な国人領主に嫁がせた。また男児は二男を大崎家の養子としたほか、桑折家・葛西家・村田家・亘理家などにも送り込んでいる。だが妹を嫁がせた最上家の当主・義定の跡目問題に外戚として強く干渉するなどしたことから、最上家とはその後も険悪な状態が続くことになる。後の16代・輝宗、17代・政宗(まさむね)の時代になってからも両家の関係は対立したままになる原因であった。

 

 

 稙宗は、このように知略に優れ、実行力もあり、さらには外交面でも優れていたことから、奥州守護職という立場を最大限に利用して、婚姻政策による勢力拡大を実現した。また天文5年(1536)には、分国法(戦国大名が独自に定める国内法)「塵芥集(じんかいしゅう)」をも制定した。

 

 ところが稙宗の強引な外交・婚姻政策が思わぬ破綻を見せる。三男・時宗丸(実元)を越後・上杉家の後継養子として送り込もうとして、嫡男・晴宗と対立したのだった。これが周辺諸国の大名・国人領主を巻き込んだ内訌「天文の乱」となり、足掛け7年に渡る。結局、15代・晴宗は父・稙宗を隠居に追い込み、居城も出羽・置賜郡米沢に移し、近隣大名との関係の修復に努め、さらには支配権を拡大していくのだった。最上氏とも和睦し、嫡男・輝宗は最上義守の娘・義姫を娶り、梵天丸(ぼんてんまる/17代・政宗)が生まれるのである。

 

 

監修・文/江宮隆之

『歴史人』10月号「戦国大名の勢力変遷マップ」より)

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