米軍に「筒抜け」だった戦艦大和の出撃
沖縄戦と本土決戦の真実⑬
記録に残る電文6通、その具体的な中身とは?

戦艦大和の前甲板左半分を、実寸大で表現した大和波止場(広島県呉市宝町)。海上自衛隊の護衛艦や、潜水艦を眺めることができるスポットとしても人気を集める。
4月6日夜、沖縄本島東北海面に集結する米空母群7隻、軽空母5隻の兵器担当要員は、攻撃機に爆弾370発、航空魚雷131本、ロケット弾120発を装備・装着するのに忙しかった。米空母艦上で、このような作業が「大和」出撃を前にして可能だったのはなぜだろうか。
それは、日本海軍の無線交信を傍受(ぼうじゅ)、暗号電文を解読していたためである。さらに、B-29写真偵察機F-13が高度3000mから、出撃6時間前に徳山湾沖に集結する海上特攻艦隊を撮影しており、出撃陣形にあったことを確認していたのである。
このことは、秘密を解除された米軍機密によっても立証されている。戦後33年が経ち、米国立公文書館は秘蔵文書を公開した。「マジック極東要約」と題された文書は、「大和」出撃前をほぼ正確につかんでいたことを示している。
沖縄本島突入作戦に関連した電文6通が存在する。以下、その3通を明らかにしよう。
①暗号「軍機」作戦緊急
発)聯合艦隊司令長官
着)遊撃部隊艦隊司令長官
報)沖縄根拠地戦隊司令官
機密第0515000番電/聯合艦隊電令作第607号
帝国海軍部隊及び第六航空軍はX日(6日)以降全力を挙げて沖縄周近敵艦船を攻撃撃滅せんとす
②作戦緊急
発)共符
着)天一号作戦部隊・沖根「戦隊司令官」、聯合艦隊各「艦隊司令長官」「戦隊司令官」
報)大臣 総長 高警 機密第060001番電
帝国海軍部隊は陸軍と協力、空海陸の全力を挙げて沖縄島周辺の敵艦隊に対する総攻撃を決行せんとす。皇国の興廃は正に此の一挙に在り。 茲(ここ)に海上特攻隊を編成壮烈無比の突入作戦を命じたるは帝国海軍力を此の一戦に結集し 光輝(こうき)ある帝国海軍海上部隊の伝統を発揚すると共にその栄光を後昆(こうこん)に伝えへんとするに外ならず 各隊は其の特攻隊たると否とを問わず愈々(いよいよ)殊死(しゅし)奮戦敵艦隊を此の所に殲滅し 以(もっ)て皇国無窮(こうこくむきゅう)の礎を確立すべし
③4月6日 第一遊撃部隊艦隊司令長官宛 行動予定
6日1800(18時)豊後水道東水道出撃
6日2300(23時)都井岬の66度11浬かいり
7日0300(3時)佐多岬
7日1000(10時)北緯31度12分東経128度15分
7日2030(20時30分)北緯28度12分、東経126度41分
8日0400(4時)沖縄島西方海面着(無電)
出撃日から部隊編成まで動きは丸裸同然だった
上の電文では、行動開始のX日が4月6日であること、出撃する諸部隊が九州・台湾の陸軍航空戦力、日本全土と台湾の海軍残存飛行機であることが示されている。
さらに、沖縄の現地軍には対空火器と砲弾が不足していることまで、すべて米軍に解読されていたのである。日本は丸裸にされているのも同然だった。
日本側の記録である「海上特攻隊戦闘詳報」には、「天一号作戦に於いて突入作戦は実施しない方針であったが、突然に突入作戦実施を下令されたため燃料搭載出撃準備警戒要領などに関し電報量を激増し企図が察知されたと認められる点が多かった」と、敵に行動を察知されていたことを感じていた記述が残っている。
当時、日本海軍は、ストリプト乱数表方式「ロ一Bケ七(B)」という暗号を使用していた。「ロ一」は暗号規程、「B」は発信チャンネル、「ケ」はストリプト暗号の鍵となる書類を、「七」はその第七号を示していた。また、(B)は乱数盤のタイプであった。
本暗号は4月1日に更新されていたが、米海軍通信諜報(ちょうほう)班は3日間で更新パターンを解読していた。日本海軍が暗号方式の本質的構造を決して変えることなく、更新を繰り返したことによる。
監修・文/原勝洋