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薩摩隼人の自尊心を傷つけられ関ヶ原不戦を決意した「島津義弘」(西軍)

「関ヶ原の戦い」参戦武将たちの本音! 第5回 


戦国時代に終わりを告げた大戦・関ヶ原合戦は、まさに天下分け目の戦いであった。参戦した武将には、取り上げられることが稀なマイナーな武将たちも多い。それらの中から東西両軍武将たちをフォーカスし、なぜ東軍(西軍)に加わったのか、合戦での役割はどんなものであったのか、さらには戦後の動向など、その武将たちの動きと心の(うら)を読み解く。


島津義弘 しまず・よしひろ
所領/薩摩6万石、動員兵力/1,600人(推定)、布陣場所/笹尾山の南方、合戦での動向/本戦では静観。西軍総崩れの後、壮絶な撤退戦を演じる、戦後の処遇/本領安堵

 見た。おいは、この関ヶ原で「人間」を見た。どのように立派なことをほざいても、どように屁理屈を並べてみても、所詮は人。最後は自分の心を素っ裸にして行動するものだ。金吾(小早川秀秋/こばやかわひであき)の寝返りも、朽木(くちき)・赤座(あかざ)らの身替わりの速さにも驚きはしなかったが、生涯に50数回も合戦に臨みながら、このような人間模様を見させられた戦さは初めてのことだったな。面白い見世物であった。

 

 だが、やっと関ヶ原の戦場からほぼ50里(約200Km)も離れたこの堺に13日間掛けて生還したものの、この脱出行でわずか80人に薩摩から連れてきた将兵の数は減っていた。1600もいた精強の兵たちの9割以上を失った。このまま薩摩に戻っても、兄・義久(よしひさ)にどう申し開きをしたらよいか。しかも副将であった甥・豊久(とよひさ)や腹心の長寿院盛淳(ちょうじゅいんもりあつ)まで殺してしまった。この悔いたるや…。

 

 おいは、西軍の中にいながら西軍ではなかった。だからといって東軍に与していた訳でもない。すべては、治部少輔(石田三成)との確執から始まったのだった。治部は、おいにとっては、太閤(豊臣秀吉)の九州侵攻以来の親しい仲ではあったが、この度の治部の旗揚げには諸手を上げて賛同していたわけではなかった。そのうえ、治部はおいが島津の兵7、8千を率いてくるとばかり思っていたらしく、1600と知って落胆を表情に出しおった。それから、おいと治部との間に歯車の軋みともいえる微妙な感情が流れ出した。

 

 そして、おいは島津豊久や長寿院らと計り、ただただ戦況を見守るという中立の立場を取り続けた。大谷吉継(おおたによしつぐ)が恐ろしいほどの実力を発揮したのも見た。治部の家老・島左近(しまさこん)という男が1度も退くことなく前進し、前面にいた京極高知(きょうごくたかとも)・生駒一正(いこまかずまさ)らの部隊に突き入ってけちらし、血みどろになっても僅かずつでも進み、黒田長政(くろだながまさ)の部隊でさえ壊滅に近い状態に陥った。そうしたすべてを、おいは見た。見ながら、一切手出しをしなかった。かといって、まさか戦闘の最中に戦場から離脱する訳にも行かず、金吾らのように寝返りも出来ない。ほぼ勝敗が決し、西軍の諸隊は敗走し、治部らも戦場から離脱したらしい。

 

 その後で無傷の島津勢1600は、一丸になって内府(徳川家康)本陣の方向を目指して突進した。無謀といえば無謀のようだが、これが島津の戦いだ。おいは、戦国の世で最強は島津軍団だと思っていたし、今もその思いに変わりはない。島津には「捨てがまり」という戦い方がある。後尾にいる1隊が捨て駒となって敵を食い止め、その間に先陣を逃すやり方だ。これには必ず1挺ずつ持たせた鉄砲が役に立つ。「捨てがまり」によって、東軍の井伊直政(いいなおまさ)、内府の四男・松平忠吉(まつだいらただよし)も銃創(じゅうそう)を受け、馬から転がり落ちたという。

 

 関ヶ原の烏頭坂(うとうざか)から近江に向かい、鈴鹿峠を越えて信楽(しがらき)、そしてやっとこの堺に辿り着けたのも、「捨てがまり」戦法で命を賭しておいを守ってくれた家臣団のお陰であった。この関ヶ原合戦が昔話になる頃には、我ら島津隊は、島左近同様に語り草に成ることを祈るばかりだ。さて、薩摩に向かって出発じゃ。

 

     ◇

 

 戦後、島津義久・義弘は徳川の尋問しに対して徹底的に抗弁し続け、結果として1石の所領も失うことはなかった。

 

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過去記事

江宮 隆之えみや たかゆき

1948年生まれ、山梨県出身。中央大学法学部卒業後、山梨日日新聞入社。編制局長・論説委員長などを経て歴史作家として活躍。1989年『経清記』(新人物往来社)で第13回歴史文学賞、1995年『白磁の人』(河出書房新社)で第8回中村星湖文学賞を受賞。著書には『7人の主君を渡り歩いた男藤堂高虎という生き方』(KADOKAWA)、『昭和まで生きた「最後のお殿様」浅野長勲』(パンダ・パブリッシング)など多数ある。

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