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“茶の湯”のため多くの弟子がいる東軍についた「古田織部」(東軍)

「関ヶ原の戦い」参戦武将たちの本音! 第4回 


約15万人もの兵を巻き込んだ天下分け目の戦い・関ヶ原の戦い。日本全土の勢力を2分したこの戦いで、参戦した武将には、その委細が取り上げられることが稀な武将たちも多い。ここでは普段フォーカスされない武将たちが、なぜ東軍(西軍)に加わったのか、合戦での役割はどんなものであったのか、さらには戦後の動向など、その武将たちの動きと心の裡(うら)を読み解く。


古田織部 ふるた・おりべ
所領/なし、動員兵力/1,000人(諸説あり)、布陣場所/笹尾山方面予備軍として関ヶ原北方に布陣、合戦での動向/不明、戦後の処遇/美濃不破に所領(1万石)を得る

 ここは関ヶ原・桃配山(ももくばりやま)の家康本陣。手の届くところに内府殿(家康)がいる。相変わらずの爪噛みの癖までよく見える。だが、既に隠居の身でありながら私がここにいるのは、あの内府殿の指図による。つまり私が武人ではなく茶人でありながら、歴戦の強者であることを知っていて、その両方(茶の湯と武勇)の利用を計ってのことだったろう。

 

 私は美濃に生まれ、土岐頼芸(ときよりあき)・斎藤道三(さいとうどうさん)などに仕えて後に織田信長にも仕えた。24歳で信長公の使番になって以来、信長公の戦いの全てを共にした。本能寺の後に太閤殿下(秀吉)が山崎合戦で明智光秀を破り、その後も天下取りの戦い・内府殿との小牧・長久手合戦・さらには小田原の北条滅亡・文禄慶長の戦い(朝鮮の役)までを武将として戦い続け、山城に3万5千石の領土と従5位下・織部正(おりべのしょう)を賜った。

 

 茶の湯との付き合いは、千利休(せんのりきゅう)殿との縁による。利休殿が太閤殿下に自刃を命じられる直前まで、私は利休殿と最も親しい弟子として接していた。やがて利休殿の後釜のように太閤殿下の茶頭(さどう)となり、武将・大名が私の弟子になった。中でも常陸(ひたち)の佐竹義宣(さたけよしのぶ)も周防(すおう)の毛利秀元(もうりひでもと)も私には親しい弟子であり、その双方がこの度の合戦では、治部少輔(三成)率いる西軍に身を寄せていた。分けても佐竹の存在は内府殿には脅威であったらしく、合戦前に私に命じられたのが、佐竹を西軍に味方しないようにという交渉であった。佐竹は、師匠である私の言を容れて人質を江戸城に送るほどの譲歩を見せてくれた。

 

 交渉の役はまだあった。尾張・犬山城主の石川貞清(いしかわさだきよ)を降伏させるための誘いであった。この誘降も石川が応じてくれて成功した。私のこうした役割について、世人はどう思うか。それのみを私は考えている。私の中に、決して往年の武将の血が蘇ったのではなく、内府殿の依頼が拒み難かったことに加えて、浅野幸長(あさのよしなが)・織田有楽斎(おだゆうらくさい)・黒田長政(くろだながまさ)・有馬豊氏(ありまとようじ)など東軍に身を寄せる弟子たちが多いことなどから、内府殿の要請を拒まぬことが「私自身の茶の湯の今後に利する・益する」と考えたためであった。

 

 あっ、鬨(とき)の声が上がった。内府殿が爪噛みを止めて采配を右手に持った。いよいよ東軍の総攻撃のようであるな。とはいえ、朝方からの合戦の様子は、どちらかといえば西軍の有利に進んでいたように思えたが。だからこその内府殿の爪噛みではなかったか。「内府はイライラすると爪をを噛む」と、太閤殿下も時々語っておった。

 

 あれは何だろう。松尾山(まつおやま)の山頂に陣取っていた金吾(小早川秀秋/こばやかひであき)の大軍1万6千が、味方のはずの大谷勢に突っ込んでいく…。寝返りか。なんと、太閤殿下の甥である金吾が。世も末であるな。これで治部少輔の目論見も瓦解するであろう。哀れな。あれほどに故太閤殿下に忠誠を尽くす男はいなかったのに。おお!寝返りがまだ続く。これで合戦も終わったな。私の中で茶の湯が湧き始めた。

 

     ◇

 

 織部は家康から美濃・不破郡に1万石を貰った。その後は、徳川家や大名たちの茶頭として茶の湯に専心するが、元和元年(1615)徳川家への謀反の疑いをかけられ切腹。

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過去記事

江宮 隆之えみや たかゆき

1948年生まれ、山梨県出身。中央大学法学部卒業後、山梨日日新聞入社。編制局長・論説委員長などを経て歴史作家として活躍。1989年『経清記』(新人物往来社)で第13回歴史文学賞、1995年『白磁の人』(河出書房新社)で第8回中村星湖文学賞を受賞。著書には『7人の主君を渡り歩いた男藤堂高虎という生き方』(KADOKAWA)、『昭和まで生きた「最後のお殿様」浅野長勲』(パンダ・パブリッシング)など多数ある。

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