×
日本史
世界史
連載
ニュース
エンタメ
誌面連動企画

長篠敗戦後に勝頼が着手した内政再建と新機軸外交とは?

武田三代栄衰記⑬

重臣を多数失った大敗を経て後任人事・再編に奔走する

持明院
天正5年(1577)、成慶院と引導院(現・持明院)のどちらが武田氏の宿坊として正当かをめぐって起こった相論で、引導院が勝利。武田家の宿坊の地位を独占することとなった。

 長篠合戦の敗戦で、山県昌景・馬場信春・内藤昌秀・原昌胤(まさたね)・真田信綱(のぶつな)といった重臣の多くが命を落とした。彼等は各地の城代として、軍政を預かってきた責任者であり、勝頼は後任人事で手一杯となる。

 

 勝頼が頼ったのは、姉婿の穴山信君(のぶただ)・従兄弟の武田信豊(のぶとよ)ら御一門衆であった。弟の仁科盛信(にしなもりのぶ)も、18歳になっており、活動を開始する。

 

 信玄が重用した側近土屋昌続(まさつぐ)も討死し、勝頼側近は跡部勝資(あとべかつすけ)・長坂釣閑斎(ながさかちょうかんさい)ら吏僚的人物の台頭が目立つ。

 

 信長・家康の反撃で三河の諸城は失陥し、天正3年11月には岩村城が落城して城代秋山虎繁(とらしげ)が処刑された。北三河と東美濃も失ったのである。

 

 武田氏の軍隊を構成する下級家臣と、村から出陣してくる軍役衆(ぐんやくしゅう)の損害も大きい。援軍派遣のため、戦死者の補充を行うが、緊急時としか表現のしようが無い。12、13歳といった出陣年齢に達しない子供や、出家していた遺族を還俗させて、戦死者の跡を補わざるを得なかった。

 

 天正3年12月の軍制改革は、戦死者補充を強く意識している。勝頼は、自身の家来で武勇に優れた者をリスト化して提出せよと命じており、陪臣(ばいしん/家臣の家臣)の直臣(じきしん)取り立てを目指した。また翌4年5月には有力家臣の後継者に、出陣時の軍装を指示している。鉄砲一挺につき玉薬300放を用意せよとある点が注目され、長篠敗戦の一因を鉄砲の弾切れとみていることがわかる。

 

 ただ、勝頼の懸命な努力で、立て直しは進みつつあった。信玄以来の宿老は、留守を預かっていた春日虎綱(かすがとらつな)を除きそのほとんどが討死した。これは世代交代が行われたに等しく、皮肉なことに、勝頼が自身の考えを通しやすくなったといえる。

 

内政面、外交政策ともに新機軸を打ち出した勝頼

 

 まず内政面をみてみよう。天正2年、当時は海に面していた高天神城(たかてんじんじょう)を攻略した後、勝頼は新たに「船」朱印を創設した。北条氏政に見本を送り、今後勝頼が公認した船に与える手形に用いると伝えている。

 

 長篠敗戦後、勝頼は新たな政策を矢継ぎ早に打ち出した。

 

 10月、家康に焼き打ちされた駿府の復興を図る。商人の帰住を促す減税措置を発表し、商人頭12人に駿府居住を誓約させた。

 

 同月、伝馬(てんま)法度を改訂し、無料使用が認められる公用伝馬と、有料の私用伝馬の区別を明確にした。同時に、公用伝馬の上限を定め、伝馬宿の負担軽減を図った。

 

 12月、新たに獅子朱印を創設し、今後は竹木藁縄(わらなわ)の徴発には、この朱印を用いると布告した。伝馬法度改訂とあわせ、視覚的にわかりやすくという方針であったようだ。

 

 外交政策には、将軍足利義昭の働きかけが大きい。義昭は、勝頼・上杉謙信・北条氏政に三国同盟を呼びかけたのである。既に武田・北条間は同盟が成立しているから、問題は謙信の動向であった。謙信は、かつて同盟破棄を申し入れてきた北条氏政との講和は絶対に応じられないとしつつも、勝頼との和睦は受諾した。天正3年末、武田勝頼は、上杉謙信との和睦締結に成功したのである。

 

 北条氏とは、春日虎綱の進言を容れ、北条氏政の妹桂林院殿(けいりんいんでん)を後妻に迎えた。信長の養女龍勝寺殿(りゅうしょうじでん)は元亀2年に死去しており、勝頼には側室しかいなかった。姻戚関係構築で、同盟の強化を図ったのである。

 

 天正4年、義昭は毛利輝元(てるもと)の制止を振り切って、強引に毛利領国に入った。毛利氏は本国安芸を避け、備後鞆(びんごとも)に義昭を迎えた。結局、毛利輝元は信長との同盟を破棄し、勝頼と同盟して本願寺支援に転じた。この年は丹波国衆赤井直正とも結んだ他、上杉謙信も信長と開戦する。

 

 勝頼は外交の立て直しに成功したといえ、信長は計画していた天正4年の武田領侵攻を中止している。

 

 天正4年4月には、信玄の本葬が営まれた。勝頼は、新たな道を歩み出していた。

 

監修・文/丸島和洋

『歴史人』12月号「武田三代」より)

KEYWORDS:

過去記事

歴史人編集部れきしじんへんしゅうぶ

最新号案内

歴史人2023年4月号

古代の都と遷都の謎

「古代日本の都と遷都の謎」今号では古代日本の都が何度も遷都した理由について特集。今回は飛鳥時代から平安時代まで。飛鳥板蓋宮・近江大津宮・難波宮・藤原京・平城京・長岡京・平安京そして幻の都・福原京まで、謎多き古代の都の秘密に迫る。遷都の真意と政治的思惑、それによってどんな世がもたらされたのか? 「遷都」という視点から、古代日本史を解き明かしていく。