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東京裁判はどのような理由で開かれ、誰が何の罪で起訴されたのか?

今月の歴史人 Part.4


東京裁判(極東国際軍事裁判)は、起訴対象者の多さや、ABC級という独自の容疑設定などの影響で、その全容が把握しづらい。元来の開廷理由などについて、裁判にまつわる疑問を解説していく。


Q 東京裁判はなぜ開かれたのか?

A 昭和20814日に日本がポツダム宣言を受諾したため。

日本の主張を許さなかった連合国側の既定路線

 

 東京裁判が開廷された理由は、昭和20年(1945)年8月14日、日本がポツダム宣言を受諾したことによる。国民には翌15日の玉音(ぎょくおん)放送で発表された。

 

 ポツダム宣言は同年7月26日、ドイツ・ベルリン郊外でのポツダム会談の期間中、連合国のアメリカ、イギリス、中華民国(中国)の名で出された日本に対する降伏勧告の宣言である。全13条から成る。

 

 第10条には「(前略)吾等(連合国)の俘虜を虐待せる者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重なる処罰加えらるべし(後略)」(外務省の文書は漢字カタカナ交じり文)と明記されている。

 

 日本はこれらの条件を呑んで降伏した。だが、解釈次第では日本が自ら裁判できる余地もあった。日本側全権として同年9月2日、アメリカ海軍戦艦ミズーリ甲板で行なわれた降伏文書の調印式で署名した重光葵(しげみつまもる)外務大臣もこの説を主張した。

 

 だが、実際にはニュルンベルク裁判と同様の国際法廷で裁くという連合国側の既定路線ができあがっており、8月8日、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連の代表者がロンドンで調印した国際軍事裁判所憲章を日本にもあてはめようとした。

 

 連合国軍最高司令官のマッカーサーは、日本の戦犯捜査の法律顧問団団長として来日したキーナンを国際検察局局長に就け、極東国際軍事裁判所憲章(条例)を作成させた。

 

 ここで戦争犯罪人とは何かという疑問が生まれた。日本側弁護団副団長を務めた清瀬一郎は、ポツダム宣言時の国際法で宣戦布告や戦争行為を戦争犯罪としたものはなく、両憲章は事後法のため、成立以前の事実には適用できないと主張した。

 

 法学的には、当時の大日本帝国憲法はドイツやフランスなどの大陸法に近く、慣習法・判例法として成立した英米法とは異なる点があった。アメリカは英米法をバックボーンにして、東京裁判に臨んだ。

京都霊山護国神社(京都市東山区)にあるパール判事の顕彰碑。東京裁判に裁判官として参加したパール判事は東京裁判そのものを「判決ありきの茶番劇」として批判し、全11名の裁判官の中で唯一、全員無罪を主張した。

Q 誰、またはどの組織が何の罪で起訴されたのか?

A 太平洋戦争の戦犯として延べ100名以上の個人が逮捕され、そのうち28名が「平和に対する罪」で起訴された。

連合国による執行委員会が被告人を選定

 

 東京裁判で起訴されたのは、開戦時の首相(兼陸軍大臣)だった東条英機ら28人。全員が「平和に対する罪」に問われた。このことから、日本ではA級戦犯と呼ばれた。

 

 ただし、A級はB級(通常の戦争犯罪)、C級(人道に対する罪)よりも罪が重いわけではなく、罪の種類(分類)を意味する。

 

 では、戦犯容疑者はどのようにして選定されたのか。それは日本がポツダム宣言を受諾してまもない時期までさかのぼる。

 

 昭和20年(1945)8月30日、連合国軍最高司令官のマッカーサーが厚木飛行場に降り立った。マッカーサーはその夜のうちに対敵諜報部部長のソープ准将(じゅんしょう)に、戦犯容疑者のリスト作成を命じた。

 

 戦犯として逮捕されたのは、9月11日の第1次を皮切りに第4次まで延べ100人以上にのぼった。

 

 翌年3月、連合国の代表検事から成る執行委員会が設立され、被告人の選定にあたった。

 

 4月13日、ソ連の代表検事が来日した。同委員会は被告人を26人まで絞っていたが、ソ連の要求を入れ、重光葵と梅津(うめづ)美治郎(よしじろう)を加えた。くしくも降伏文書の調印式で重光は政府代表として、梅津は軍代表(参謀総長)として署名している。

 

 2人は昭和天皇の誕生日にあたる4月29日に逮捕された。この日、2人を含む被告人28人が極東国際軍事裁判所に起訴された。

 

 ニュルンベルク裁判では、ナチスの党指導者、親衛隊、ゲシュタポなどの組織も起訴されたが、東京裁判では大政翼賛会などの起訴も検討されたものの戦犯の根拠にとぼしく、組織の起訴は見送られた。 

 

 昭和天皇の訴追については、天皇と会見したマッカーサーの意見などを重視したアメリカが反対。日本占領に関する最高政策決定機関の極東委員会(略称FEC/本部はワシントンD・C)も不起訴で合意した。

 

監修・文/松田十刻

『歴史人』6月号沖縄戦とソ連侵攻の真実より)

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歴史人編集部れきしじんへんしゅうぶ

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