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”謎の大王”と呼ばれた「継体天皇」の真実

今月の歴史人 Part4


26代天皇・継体天皇は地方出身の人間として初めて天皇へ即位した。異例の経歴の持ち主である。その生涯には、様々な説が飛び交い、謎が多い人物として語られてきた。ここではそんな継体天皇の謎について迫っていく。


 

■即位の謎、流浪の謎など、多数の謎を秘めた大王

 

太田茶臼山古墳

太田茶臼山古墳
宮内庁が指定する『陵墓要覧』で継体天皇陵と定めている古墳。だが、他にも継体天皇の墓と推測される古墳が存在する。

 

Q.地方出身の天皇がなぜ誕生したのか?

 

A.仁徳天皇から続いてきた直系の皇子が不在となったため。

 後世に八幡大菩薩として祀られる第15代・応神天皇(大王)。その応神から仁徳天皇から武烈天皇まで10代続いたが、25代・武烈天皇には子がなかった。

 

「男女無くして継嗣絶ゆべし」(『日本書紀』)、つまりは仁徳天皇から続いてきた直系の皇子が不在になったというのだ。そこで越前(福井県)の傍系から婿を迎え入れるかたちで、新たな王が生まれた。これが継体天皇である。彼は武烈天皇の姉にあたる手白香皇女を皇后とした。

 

 継体天皇は応神天皇の5世の孫とされる。また稚野毛二派皇子(応神天皇の第5皇子)を高祖父に持つ家柄であったとされる。

 

 もともとは父の居住地である近江 (滋賀県)で生まれ、父の死後は母の実家とされる越前で育った。子孫とはいえ応神から100年は超える疎遠な傍系王族といえよう。

 

 

Q.継体天皇が〝謎の大王〞と呼ばれるわけとは?

 

A.在位期間が「空白の世紀」と重なったことで様々な想像が膨らんだため。

 歴代王のなかで、このような地方出身の者が天皇(王)になった例はなかった。それまではヤマト王権の本拠であった大和か河内(大阪)といった畿内出身の者が天皇になった。そのため仁徳系の王族と血のつながりなどなく、一地方豪族に過ぎない継体天皇が武烈天皇を討って新たな王朝を拓いたとまで主張する説も存在するほどだ。

 

 いずれにせよ、現代の天皇家の系譜を素直に辿れば、この継体天皇が祖ということになる。

 

 継体(男大迹王)は当初、自分はその任にないと言って何度も即位を辞退したが、ヤマト王権の中でももっとも力をもつ大伴氏の大伴金村らのたび重なる説得を受け、樟葉(大阪府)へ向かい、507年に即位した。このときすでに58歳だったというから、よほどの実力者であり、彼でなくては畿内および反乱勢力の平定が成しえなかったと、ヤマト王権の関係者に判断されたとみることができる。

 

 

Q.即位後19年もなぜ都に入らなかったのか?

 

A.継体即位に反対する勢力があったとともに、 大和周辺に基盤をつくる時間が必要であった。

 樟葉の地は瀬戸内海を結ぶ淀川の中でも特に重要であり、また交通の要衝であったと考えられる。だが継体天皇は、それから19年もの間、ヤマトの地には入らなかった。 

 

 筒城(京都府京田辺市)、弟国(京都府長岡京市)、磐余玉穂宮(現奈 良県桜井市)へと相次いで遷り、即位から20年目にしてようやく大和国に入り、磐余玉穂に都を定めたとされている。

 

 なぜ、すぐに大和へ入らなかったのか。それは継体天皇の即位に反対する者の動きがあったこと、大和盆地の周辺一帯での基盤づくりが必要だった可能性が考えられよう。

 

 入国の翌527年には「磐井の乱」が起きた。ヤマト王権のトップとなった継体天皇は新羅阻止のため、近江毛野(近江国の豪族)を朝鮮半島に派遣したが、筑紫国造の豪族・筑紫君磐井がこれを阻止しようと挙兵したのだ。結果ヤマト王権は乱を平定、九州支配を進めた。

 

 先述の大和入国の遅れを見ても、 本来は近江土着の傍系にすぎない継体天皇に対し、反対勢力の抵抗は根強かった。継体天皇による新王統の成立は事実上の王朝交代であったと思われるが、後世の『日本書紀』でそう扱われていない。それは、その編纂期における天皇家の祖・継体を有徳の君として扱う必要があったからである。そのような政治的な事情を除いたとしても、継体天皇自身、 衆に優れた人であったことは事実だろう。

 

監修/水谷千秋・文/上永哲矢

『歴史人』4月号「古代史の謎」より)

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