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縄文人はどのような家に、何人ぐらいで暮らしていたのか?

今月の歴史人 Part2


この数十年で、縄文・弥生時代のいわゆる定説は大きく変化している。 さまざまな出土品と最新研究によって新しい見識が得られ、 当時の具体的な生活像はよりアップデートされている。今回は縄文人の衣食住を手がかりとして、 現在の「真説」を解説していく。


 

Q.竪穴住居には何人ぐらいが 住んでいたのか?

 

A.家族5~6人が暮らしていたと考えられる。

復元された竪穴住居
三内丸山遺跡の敷地内で復元された竪穴住居。地面に掘った穴に複数の柱を立てて円錐形になるように縄で固定し、その上に土や茅で屋根を造っている。(三内丸山遺跡センター蔵)

 縄文人は一般に竪穴(たてあな)住居に住んでいたと考えられる。竪穴住居は、床面が直径数メートルの円形もしくは方形であり、床面は掘り込まれていた。建物の上部には屋根がかけられ、 壁際には溝を巡らせており、部屋の内部には貯蔵穴や炉・かまどが備えられていた。

 

 ひとつの竪穴住居には、5〜6人ほどが居住していたと思われ、数棟が集まって集落、すなわち「ムラ」 を形成していた。ムラの周囲には貝殻を捨てた貝塚があったりする。貝塚は全国で約2500か所ほどみつかっているが、そのうちの6割は関東に集中している。

 

 一般的に貝塚は、ゴミ捨て場といわれることが多いが、千葉県船橋市の取掛貝塚のように、3体のシカと7体のイノシシの頭骨を並べた動物儀礼の跡が見つかったケースもあり、 単なるゴミ捨て場ではなかったと考える見解もある。

 

 また、縄文時代は採集経済であったため縄文人は採集物や獲物がなくなると移動して生活していたと考えられる。しかし、取掛貝塚では約1万年前、約6000年前、約2100年前の竪穴住居跡がみつかっており、縄文時代早期から弥生時代中期にかけて、時代を超えて人々が居住していた。

 

 こうした例としては、平成4年(1992)に発見された青森県青森市の三内丸山遺跡が有名であり、約4200年前〜5900年前に巨大集落が形成され、多いときには500人が生活していたとされる。

 

 

Q.衣類は何を着ていたのか?

 

A.当時の衣服は現存していないが、 衣服だった可能性のある 編み布の断片が出土している。

縄文時代の編物の破片 経糸と緯糸を絡めて編まれた、 縄文時代の編物の破片(重要文化財)。当時の衣服そのものは発見されていないが、衣服の断片だった可能性が考えられる。 三内丸山遺跡センター蔵

 縄文人の衣服については現存していないが、当然のことながら地域によって異なっていたと考えられる。 寒冷地では、捕獲した動物の毛皮などが用いられたであろうし、夏と冬とではまた異なるファッションであっただろう。夏用の物としては、アシやツル植物などを用い網代編みという編み方で作られた。網代編みとは、ひもを交互にくぐらせながら編む方法である。

 

 こうしたことの参考になるものとして、三内丸山遺跡から出土した「縄文ポシェット」があげられ、技術の高さがみられる。ちなみに、ポシェットの中にはクルミの実がひとつ入っていたという。

 

Q.どのぐらいの生活範囲で 暮らしていたのか?

 

A.日常の行動範囲は5㎞程度だったと考えられる

 縄文人の行動範囲は、一般にはムラとその周囲5キロメートルほどといわれている。しかし、一方では、 千葉県の取掛貝塚のように7万6000平方メートルもの規模をもつムラもあり一様ではない。

 

 また、黒曜石やヒスイをめぐって広範囲の交流も確認されている。たとえば、黒曜石の産地として有名な 長野県の和田峠産のものが、千葉県の加曽利貝塚でみつかっており、加曽利貝塚からは、現地の人びとが消費するのには多すぎるアワビが確認されるといわれている。このことから、和田峠の黒曜石と加曽利貝塚のアワビとの交換がなされていた可能性があるのではないかといわれている。和田峠側から黒曜石が加曽利貝塚へともたらされたか、それとも加曽利貝塚側からアワビが和田峠へ運ばれたのか、はたまたふたつの地域の人間がどこかで出会って交換したのかは不明である。しかしながら、 こうしたことが想定できるならば、 遠く離れた長野県と千葉県との間に交流があった可能性が考えられるのである。

 

 また、青森県の三内丸山遺跡では、 北海道産の黒曜石や新潟産のヒスイが見つかっている。三内丸山遺跡が海に近いことを考慮するならば、海上交通を利用した遠隔地交易を想定することができよう。その際に利用されたのは丸木舟であったと考えられる。丸木舟とは、クスノキやケヤキ、クリなどの木を刳り抜いて作ったもので、耐久性は100年以上とされている。

 

 このように縄文人は海上(水上)・ 陸上交通を用いて遠隔地との交易をおこなっていたのである。

 

監修・文/瀧音能之

『歴史人』4月号「古代史の謎」より)

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