わが国の始まった場所はどんな風景で何があったのだろう?
[入門]古墳と文献史学から読み解く!大王・豪族の古代史 #046
日本には世界にも例がないほど連続した歴史が存在するが、そのはじまりの時代はいったいどんな風景だったのだろう。実は現代にも、豊富にその時代の遺物が残されている。コロナ禍が落ち着かない世情はあるものの、悠久の歴史を体験できるツアーをぜひ皆さんにお勧めしたい。影響が収まったら、是非足を運んでほしい。
古代の飛鳥を歩いてみよう!
私たちの国はどのように創られたのでしょうか?
日本の始まりは「七・五・三」だといわれます。つまり、三世紀・五世紀・七世紀に国家づくりが始まったというのです。
三世紀は弥生時代晩期で、中国の『三国志 魏書 東夷伝倭人条』に記録された邪馬台国の時代です。
五世紀は巨大古墳が造られ続けた王権の時代で、「倭の五王」の時代です。
七世紀は飛鳥時代で、史実が残されはじめて現代にも伝わっている万葉歌が詠われた時代です。
特に七世紀の飛鳥時代の遺物は、今も奈良県高市郡明日香村にしっかり残されています。そこで、皆さんにこの記事上で「飛鳥ツアー」にお連れしようと思い立ちました。
明日香盆地がわが国の首都だった時代は、西暦592年の第33代推古天皇から694年に持統天皇が藤原京に遷都するまでの約100年間です。途中、天智天皇によって滋賀県の近江に遷都されますが、672年に勃発してわずか40日余りで勝敗の決した壬申の乱で都は飛鳥に戻されます。
さあそれでは南北に数キロメートルしかない中に、あふれるほど豊富な歴史の残る飛鳥盆地を歩いてみましょう。
【出発】
まず近鉄橿原神宮前(かしはらじんぐうまえ)駅に集合して出発です。
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近鉄橿原神宮前駅東口
駅の東口から出る路線バスに乗り、三つ目の「豊浦(とゆら)」バス停で降りましょう。バス道から路地を右に入ってしばらく行くとすぐに「向原寺(こうげんじ)」があります。
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地図)GoogleMapより加工作成/柏木宏之
【向原寺】
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推古天皇が即位をした豊浦宮跡にあたる向原寺 撮影/柏木宏之
この寺は、飛鳥時代を開いた推古天皇が即位をした豊浦宮(とゆらのみや)跡にあたります。飛鳥の遺跡はほとんどが複合遺跡といって、古い時代の遺構の上に、次の時代の物が新しく建てられていきます。ですから、この向原寺の地下には、推古天皇の豊浦宮遺構があって、その上に豊浦寺の遺構があります。さらにその上に現在の向原寺が建っているというわけです。
推古天皇はその後、隋の裴世清(はいせいせい)ら一行を迎える前に小懇田宮(おはりだのみや)を新築して引っ越します。ですから裴世清を迎えた宮はここではありません。推古天皇が引っ越した後、ここには寺が建立されるのです。
現在、向原寺は、その複合遺構を公開してくれていますので、ピンポンを鳴らしてお願いしてみてください。うまくいけば拝見できますよ。
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蘇我稲目の邸宅跡ともされる向原寺・公開遺構 撮影/柏木宏之
向原寺は元々蘇我稲目(そがのいなめ)の邸宅跡だったと考えられている場所で、欽明天皇の時代に百済の聖明王から贈られた仏像を最初に祀った所です。後に物部尾輿(もののべのおこし)が破壊してその仏像を難波堀江(なにわのほりえ)に捨てたといわれています。また、さらにその後の時代に仏像は長野の善光寺の本尊になったといわれているのです。
では向原寺を出て、右手に細道を歩きます。溝のような用水路に豊富な水が音をたてて流れています。
そして万葉展望台とも呼ばれる「甘樫丘」(あまかしのおか)にゆっくり登りましょう。
(次回へ続く)