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土井ヶ浜遺跡で発見された弥生人白骨遺体の傷跡に残る謎 〜 土井ヶ浜殺人事件② 〜

[入門]古墳と文献史学から読み解く!大王・豪族の古代史 #043

 


山口県下関市の土井ヶ浜遺跡から出土した人骨には14本もの矢が深く突き刺さり、頭部は鈍器で潰されていた。2000年前の弥生時代で、いったいどのような経緯があったのか、推理してみよう。


土井ヶ浜遺跡石碑 撮影柏木宏之

「英雄の墓」と呼ばれていた土井ヶ浜第124号人骨

 

 前回の続き、物的証拠の人骨と腕輪などから、なぜこのように殺害されて埋葬されていたのかを推理しましょう。

 

 土井ヶ浜第124号人骨は「英雄の墓」と呼ばれていました。

 

 つまり、弥生時代の激しい戦闘で村を守った英雄が戦死したのだと考えられたのです。まるで弁慶の立ち往生のような壮絶な死に方を直感したのでしょう。それはよくわかります。

 

 しかし、頭部を潰されていることが疑問です。

 

 結局戦いに敗れて敵に占領されて処刑されたのでしょうか?

 

 ほかの推理も可能です。

 

 ゴホウラ貝の腕輪は、南西諸島にしか生息しない貴重な大型巻貝の加工品ですから、かなり高位の人物だけが手にしたものでしょう。

 

 古代、シャーマンは村組織にとってとても重要な役職でした。しかしその霊威が減退すると次のシャーマンに世代が変わり、引退させられるシャーマンは殺されたのではないかという説があります。

 

南海産のゴホウラ貝のうずまき紋様 人類学ミュージアム展示 撮影柏木宏之

「王殺し」という風習と「持衰(じさい)」いうシャーマン

 

 邪馬台国の卑弥呼もそういう運命にあったのではないかという説もあります。俗に「王殺し」という風習でしょう。

 

 つまり惨殺された男性はシャーマン、もしくは村の長(おさ)だったのではないか?村の掟に従って撃ち殺されたのではなかったか?とも考えられるわけです。

 

それにしても頭部を潰すなど、残忍に過ぎるとも思えます。

 

シャーマンとしての王の死なのか?!「英雄」の墓の遺骨 人類学ミュージアム展示 撮影柏木宏之

 

 もう一つの推理は、彼は「持衰(じさい)」ではなかったかというものです。

 

『魏志倭人伝』に興味深く書かれているのが、「海を渡るときに持衰という役の者がいる。髪を櫛つけず垢だらけの着物を着て虱も取らず、女性を近づけず肉食をしない。無事に海を渡れたら褒美がもらえ、もしも事故や嵐にあうと打ち殺される」という一種のシャーマンの記載です。

 

 まさに高価な腕輪をしている第124号人骨の状況にも合致するような気がします。

 

 三面海に面した山口地方には航海に優れた人たちが住んでいたのではなかったでしょうか。渡海中に嵐に遭うなどして死者が出たり傷病者が出たりすると、それは持衰の霊力が低かったとみなされたようです。

 

 結局真相は藪の中ですが、この第124号人骨が、もしも持衰の遺体だったら…。数多く撃ち込まれた矢の数が航海中の犠牲者の数だとしたら…。大発見中の大発見なのですが…。

 

 歴史探訪には「自分なりの推理を楽しむ」という醍醐味もあります。皆さんも推理をしてみませんか?

 


人類学ミュージアム展示パネル第124号 人類学ミュージアム展示 撮影柏木宏之

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柏木 宏之(かしわぎ ひろゆき)
柏木 宏之かしわぎ ひろゆき

1958年生まれ。関西外国語大学スペイン語学科卒業。1983年から2023年まで放送アナウンサー、ニュース、演芸、バラエティ、情報、ワイドショー、ラジオパーソナリティ、歴史番組を数多く担当。現在はフリーアナウンサーと同時に武庫川学院文学部非常勤講師を務め、社会人歴史研究会「まほろば総研」を主宰。2010年、奈良大学通信教育部文化財歴史学科卒業学芸員資格取得。専門分野は古代史。歴史物語を執筆中。

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