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日本人の起源である縄文人の祖先はいつ頃、 どこからやってきたのか?

今月の歴史人 Part1


この数十年で、縄文・弥生時代のいわゆる定説は大きく変化している。 さまざまな出土品と最新研究によって新しい見識が得られ、 当時の具体的な生活像はよりアップデートされている。まずは縄文人の出自を手始めとして、 現在の「真説」を解説していく。


 

Q.縄文人の祖先はいつ頃、 どこからやってきたのか?
A.約4万年前、ユーラシア大陸から 辿り着いたと考えられる。

 

深鉢形の縄文土器 三内丸山遺跡センター蔵

 

 縄文時代以前の日本列島、すなわち、旧石器時代はいつごろから始まるのであろうか。この問いにまだ明確に答えることはできないが、現在のところ確実に石器といえるもので4万年以上前のものはみつかっていない。

 

 島根県出雲市の砂原(すなはら)遺跡からは、12万〜11万年前とみられる地層から石器がみつかり、日本列島における最古のものかといわれている。しかし、出土物の剥離面(はくりめん)が不明瞭であり、これを石器として認定してよいかどうかは議論がある。

 

 また、長野県飯田市の竹佐中原(たけさなかはら)遺跡C地点からは、5万〜3万年前のものと推定される石器群が出土している。しかし、これについても時代が下がるという指摘もみられる。

 

 そもそも旧石器時代の研究は太平洋戦争後からスタートした。それまでは、日本列島に人類が住みついたのは、縄 文時代からというのが定説であった。それが、在野の研究者である相沢忠洋(あいざわただひろ)氏によって群馬県の岩宿(いわじゅく)遺跡が発見され、旧石器時代の遺跡の第1号となり定説の再検証が進められていった。以後、旧石器時代の調査が広まり、現在では国内で1 万か所以上の旧石器遺跡がみつかっている。

 

 たとえば、沖縄県島尻郡八重瀬(やえせ)町の港川フィッシャー遺跡では、2万2000年前の港川人の人骨が出土している。また、港川フィッシャー 遺跡から約1.5キロメートル離れたところにあるサキタリ洞遺跡からは、世界最古とされる2万3000年前の貝製釣り針が出土している。

 

 旧石器時代は今から約1万3000年前に終わりを告げる。氷河期が去り、地球が温暖化に向かい海水面が徐々に上昇して現在の日本列島が形成されていった。時代も縄文時代となっていく。

 

Q.どのような目的で、どんなルートで辿り着いたのか?
A.象や鹿などの動物を追いかけているうちに 辿り着いたと考えられる。ルートは北海道、対馬、 沖縄の3つの説が存在する。

 

【縄文人が渡来した3 つのルート候補】 当時は陸続きであったことを考えると3つのルートのうち、シベリア方面から北海道へ渡るルートが比較的容易だったと考えられる。中国から沖縄へのルートでは舟で渡ったと考えられる。

 

 旧石器時代の氷河期の日本列島は、現在よりも約80メートルも海水面が低かった。こうした地形を利用して北方からはマンモスやヘラジカ、南方からはナウマンゾウやオオツノジカなどの大型動物が渡来した。これらを追って、人類も日本列島へとやってきたと考えられる。

 

 1977年には、シベリアの永久凍土からほぼ完全の姿のままのマンモスの氷漬けが発見された。日本列島内でも野尻湖から大量のナウマンゾウの化石が見つかった。この他にも、日本銀行本店や都営新宿線の浜町駅付近など東京都内だけでも20か所以上の場所からナウマンゾウの痕跡が見つかっている。

 

監修・文/瀧音能之

『歴史人』4月号「古代史の謎」より)

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