アニミズムとはアルキズム!〜歩き旅だから分かる、日本の信仰原理〜
桂紗綾の歴史・寄席あつめ 第15回
古墳や土偶、埴輪など……古代より日本人の精神のなかには”信仰”の精神が根づいている。ここではは大阪・朝日放送のアナウンサーでありながら、社会人落語家としても活動する桂紗綾さんが古代より続く日本人の”信仰”の歴史について語ってくれた。

遮光器土偶
日本で最も有名な土偶の一つ、教科書でもおなじみの遮光器土偶(しゃこうきどぐう)。性が命を産みはぐくむことに由来し、安産、子孫繁栄、豊かな自然の恵みなどを祈る際に使われたとされる。(東京国立博物館蔵/出典:colbase)
邪馬台国や古墳…古代史には謎が多く、新発見や新解釈が度々発表されています。しかし、その分厚いベールに包まれた古代の人々の生活跡から、現代にも通じるものをはっきりと感じました。それは〝信仰〟です。
例えば、土偶は呪術に使用されていたと見られています。妊娠女性や地母神を模り豊穣や収穫を祈ったという説。縄文時代の神話を表現しているという説。植物の霊を可視化したという説。結論は出ていませんが、いずれにしても〝目に見えない何か〟に畏れ、感謝し、祈願するために使われていたのです。
また、人の〝死〟に焦点を当てると、縄文時代の埋葬方法は手足を折り曲げた屈葬です。遺体から霊魂が抜け出て悪さをするという認識で、それを防ぐために屈葬が用いられた。弥生時代に入ると先祖の霊を祀る祖霊信仰が誕生します。祖霊が、精霊から自分達を守ってくれると考えるようになったためです。つまり、私達日本人の祖先は精霊信仰・精霊崇拝=アニミズムの精神を有していたと考えられています。
民俗学研究によると、世界各地で同様のアニミズムが存在し、今尚さまざまな宗教や風習、民族文化にその名残があります。日本で言えば〝八百万の神々〟でしょう。科学や医学の知識がなく、自然のメカニズムもわからない当時の人々にとって、身の回りで起きる事象には何らかの意味があり、有機物・無機物全てに霊が宿っていると考え信仰するのは至極当然のような気がします。

現代の地鎮祭。

江戸時代の地鎮祭の神主の装束。儀式の格で装束を変えることが一般的。(『装束着用之図』国立国会図書館蔵)
ここで、現代日本に生きる私達の行動に目を転じると…毎年初詣に行き、食前には「いただきます」と手を合わせ、お盆やお彼岸には墓前で亡き人を偲び、家を建てる前には地鎮祭を行う。古代から脈々と繋がった純然たる信仰心に基づく自然的行為。無意識に、抵抗感なく、八百万の神々を信じる心。それはどの時代を切り取っても日本に存在するものなのです。
さて、江戸時代に一世風靡したのが〝お伊勢参り〟。伊勢神宮に参詣する旅が庶民の間で大流行しました。〝弥次喜多〟でお馴染み、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』にも描かれています。実は十返舎一九は当時の噺家達と昵懇の仲でした。十返舎一九が先か、落語が先かはわかりませんが、上方落語にも一連で二十席以上の『東の旅』シリーズがあります。

伊勢参り
江戸時代、集団で伊勢神宮にお参りすることを「おかげ参り」といった。伊勢参りはおおいに流行り、全盛期には年間500万人もの人が参拝に出かけたという。(「豐饒御廕参之圖」東京都立中央図書館蔵)
喜六と清八の仲良しの二人連れがお伊勢参りをする噺です。最初のネタ『発端』では「おい、喜ぃ公、春になったさかい、お伊勢さんへお参りに行こか?」と春の陽気に誘われ、実に気軽な様子で出発します。大阪から暗越(くらがりごえ)奈良街道を通り、上街道、初瀬街道、伊勢本街道を抜けて行きます。徒歩で山を越え谷を越え、狐に化かされたり、役人に縄で縛られたりの珍道中。宮川は今では立派な度会橋が架けられていますが、当時は〝柳の渡し〟から渡し舟でお伊勢入り。外宮・内宮に御参詣。帰りは方々寄り道をしながら、最後は京から川下りの舟で戻ってきます。この『東の旅』シリーズは今でも非常に人気で、その中の『煮売屋』『七度狐』『三十石夢の通い路』は寄席でもよく高座にかけられています。
私が思うに、この落語こそ正にアニミズムなのです。『東の旅』には山や峠、空、海、川、湖等の自然、田んぼや麦畑、道端のお地蔵さん、植物、食べ物、それにたくさんの動物が描かれています。江戸時代の人々が徒歩で何日もかけてお伊勢さんまで旅をしたのは、道すがら絶えず八百万の神々を感じるためだったからではないのでしょうか。そして、今尚寄席で愛されている所以は、この落語の中に息づくアニミズム精神なのかもしれません。