源平盛衰を伝統芸能はどう表現してきたのか~鎌倉殿・能・13人~
桂紗綾の歴史・寄席あつめ 第13回
2022年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』がスタートし、注目度が増す源平合戦の歴史。日本の歴史の中でも長きにわたり、語り継がれてきた源平の物語は、現在の伝統芸能とも深い結びつきがあった。本稿は大阪・朝日放送のアナウンサーでありながら、社会人落語家としても活動する桂紗綾さんが源平の物語と「能」との歩みについて語ってくれた。
源義経について、雑誌『歴史人』2月号には肖像画付きでこう記されています。
〝鎌倉時代の軍記物語『平家物語』では「色白で背の低い小男で出っ歯」との記述がある。映画やドラマでの貴公子のイメージが強い源義経だが、敗者を美化するまさしく判官贔屓なのだろうか〟
確かに、源義経は新選組の沖田総司と並び、必ず見目麗しく描かれる歴史上の人物の代表的存在です。源平合戦を勝利に導いた侍大将のはずが兄頼朝の怒りを買い追討される不遇の人…その姿が美少年であればある程、よりドラマチックであり、観る者の心をより奪うことが出来るのでしょう。

飛翔する源義経を再現した銅像。
さて、伝統芸能の中で義経がよく登場するのが〝能〟です。原型は〝猿楽〟と呼ばれ、室町時代に観阿弥・世阿弥親子が大成させた七百年近い歴史を持つ歌舞劇。足利義満が支援し、太閤秀吉が愛し、徳川将軍に重用された猿楽は、明治時代に岩倉具視らによって〝国劇〟へと認定され〝能楽〟と改められるようになりました。時の権力者や文化人達と共に歴史を歩んできたと言えるでしょう。
能の曲(演目)はそのほとんどが中世に創られ、室町時代以前に書かれた文学作品が典拠となっています。『源氏物語』や『今昔物語』『伊勢物語』『平家物語』、そして『義経記』など。能の特徴は、鬼やもののけ・怨霊・神・精霊といったこの世に生きる人間以外の者が主人公の曲が多いこと。平家を滅ぼした義経は平家方から恨まれている、また自身や武蔵坊弁慶を含む周辺人物にまつわる逸話は数知れず。つまり、悲劇の人・源義経は格好の作品テーマなのです。
-300x200.jpg)
壇ノ浦の戦いでの義経と平知盛の激戦を再現した銅像(山口県下関市・みもすそ川公園)
『鞍馬天狗』『橋弁慶』『烏帽子折』は幼少牛若丸の頃のお話。『船弁慶』『安宅(あたか)』は源平合戦以降に義経が追い詰められる物語。『八島(観世流では『屋島』)』は義経が死後に亡霊となって現れる曲です。この中から、ラブロマンスとホラーサスペンスが一挙に楽しめる『船弁慶』を詳しくご紹介しましょう。

『船弁慶』シテ方観世流 梅若基徳 西宮能楽堂
義経は頼朝との争いを避け、弁慶とわずかな家臣を連れ、夜の都から西へと落ち延びます。摂津国大物浦(だいもつのうら)から舟で逃れることを決めた義経一行は船頭の家でしばし休息を取ることに。その間に弁慶は、義経を慕い同行してきた愛妾静御前を都へ帰らせるよう進言します。悲しむ静は別れの盃を受け、船旅の前途を祈念し、門出の舞を披露するのでした。義経との再会を願いながら…。一行が出航した途端、海上は暴風雨の悪天候へと急転。すると、壇ノ浦で義経に滅ぼされた平家一門の亡霊と総大将・平知盛の怨霊が波間に現れます。知盛の怨霊は長刀を大きく振り回しながら義経に襲い掛かるも、義経は冷静に刀で応戦し、弁慶は数珠を手に祈祷を続けました。やがて夜が明ける頃、ようやく怨霊は引き潮に乗って波の彼方に姿を消したのです。
能では主人公を演じる人をシテ方と呼びますが、『船弁慶』のシテ方は前半では静御前、後半では知盛の怨霊を演じます。この一人二役の演じ分けも見所の一つです。しかし、ストーリーは義経を軸に動いているはず。義経が主役なのでは?と不思議に思いますが、その肝心の義経は子方(こかた)と呼ばれる子役が演じることが多いのです。牛若丸が子役なのは頷けますが、大人の義経が子役なのは少し違和感があります。しかも前半は静御前との恋愛模様、後半は知盛の怨霊と勇壮に戦う姿を演じなければならない。その情緒や覇気を伝えるのが難しい役どころではないかと思いますが…実はここにこそ〝能らしさ〟が窺えます。

平知盛と戦う子方・源義経。
「お能は難しそう、理解出来るか不安」という方もいらっしゃるかもしれません。能楽師の方曰く「お能は感じる芸であって、無理に頭で理解しようとしなくても良い。眠くなれば寝ても構わない(但し、いびきはかかないでね)」とのこと。能は、舞台・面(おもて)・装束の模様・謡の言葉・囃子・舞、全て細部にまで意味があるのですが、一切その解説をしません。観客それぞれが自ら紐解いていくことを楽しむ芸なのです。一切の無駄を省き、観客が能動的に魅力探しをする芸。そこで、義経が子方である謎が解けます。子方であるからこそ、全てが抽象化するのです。静御前とのやり取りは男女の生々しさが消え、その小さな身体が怨霊と戦うことで更にカリスマ性が増し、弁慶の忠義が美しく崇高なものとなる、何よりも行く末を想えば悲哀が大人のそれとは比べものにならない。現代イケメン俳優が義経を務めるのと同義、否それ以上に多義なのです。
このように義経の子方の意味一つをとっても、世阿弥が生み出した〝幽玄〟の世界の奥深さを感じざるを得ません。