伊能忠敬の死後、続けられた地図制作秘話とは~下を向いて測ろう!涙がこぼれ落ちても♪~
桂紗綾の歴史・寄席あつめ 第11回
人の情熱は人を動かすもの。ここでは大阪・朝日放送のアナウンサーでありながら、社会人落語家としても活動する桂紗綾さんが日本人ならだれもが知っている「伊能忠敬」の情熱と夢と仲間たちの熱い想いについて語ってくれた。伊能が残してくれた夢実現への思いはこうして今を生きる私たちにも響くものがある⁉
私はよく車を運転します。ただ、道を覚えるのが苦手なカーナビ頼りのドライバーです。最近はナビも進化しましたよね。かつては、海岸通りを走っているはずが、気が付くと画面は海の中を突き進んでいる…なんてこともありましたから(笑)

朝日放送テレビのアナウンサー・桂紗綾さん前方に見える建物は上方落語の聖地・天満天神繁昌亭」。
さて、私達が日頃目にする地図が最初に作られたのは江戸時代後期、ちょうど200年前のことです。〝伊能忠敬〟という名前は有名ですね。小学校の社会の教科書にも載っている程なので、誰もが〝地図を作った人〟という認識をお持ちでしょう。
55歳から17年かけて実際に国中を歩き、緻密に測量し、作成した初めての日本地図は〝第日本沿海輿地全図〟通称〝伊能図〟。1821年、江戸幕府に献上され、その正確さからアメリカやイギリス、日本に開国を求める世界の国々が欲したと言われています。しかし、実はこの伊能図が完成する三年前に伊能忠敬は天に召されているのです。

全国を測量士歩き回った伊能の像は全国各地に立つ。何度も日本中を歩いたことで全国各地がゆかりの地となっていることがうかがえる。
では、伊能図は一体誰がどんな苦労の末、作り上げたものなのか…。その制作秘話が立川志の輔師匠の創作落語『大河への道』で描かれています。
落語『大河への道』の舞台は現代の千葉県庁。千葉の偉人・伊能忠敬を日本に知らしめるために立ち上げられたのが〝伊能忠敬大河ドラマ推進プロジェクト〟。明日が最終企画会議とあって、鼻息荒く打合せに臨むチームのメンバー。ところが、脚本作りを任された作家が「脚本は出来ませんでした」と謝罪します。
その理由とは……。
物語は1818年の江戸時代まで遡ります。伊能忠敬は「地球の大きさを知りたい」と一途な想いで日本地図を作り始めました。ただ、その完成を見ることなくこの世を去ってしまう。共に伊能図作りに携わってきた天文方・高橋景保を始めとする測量隊は悲しみに暮れますが、忠敬の意志を継いで伊能図を仕上げることを誓います。そのために〝ある作戦〟を開始するのでした。艱難辛苦を乗り越え完成させた伊能図を、時の将軍に献上する江戸城大広間。御前での張り詰める空気から一変、殿から頂戴する労いの言葉は涙無くしては聴けません。忠敬の道半ばで途絶えた無念、残された者達の努力、それら一切が供養されたのを感じ、観客の胸にも熱いものがこみ上げてきます。

『大日本沿海輿地全図』伊能の悲願であった日本地図完成は仲間たちにより結実。日本初の全国地図が完成を迎えた。(国立国会図書館蔵)
さて、現代での大河ドラマ推進プロジェクトチームの行方は如何に。物語のラストでまたもや観客は感動の渦に巻き込まれるのです…。
歴史上、脚光を浴び名を遺す人はいます。しかし、世の中は圧倒的多数がそうではない人達です。『大河への道』は伊能忠敬の物語でありつつも、実のところ彼を支え、想いを引き継いだ仲間の物語でもあります。落語とはそんな名も無き市井の人々の暮らしを描いたものなのです。伊能忠敬の話のはずが、伊能忠敬ではなくその周囲の話になる。歴史もののはずが、落語的なものになる。想いを継いでやり遂げた人達こそが主人公なのだと思えば、その根本・中心である伊能忠敬の素晴らしさがより一層浮かび上がってきます。立川志の輔師匠の温もり・優しさが生んだ物語。名も無き人への応援歌のように力強く、美しい。
2022年、『大河への道』は中井貴一さん主演で映画化されます。中井さんが志の輔師匠の落語を御覧になり感動され、たっての希望で映画化が実現したと伺っています。一人の話芸が、想いが、多くの人を動かす。それはまるで伊能忠敬の無垢なる情熱が人々を突き動かし完成させた伊能図と重なるのは、きっと私だけではないはずです。