【『歴史人』2022年1月号案内】「地名の歴史をたどる」12月6日発売!
地名に秘められた日本人の歴史とルーツとは?
『歴史人』2022年1月号(12月6日発売)の特集は──
地名に秘められた日本人の歴史とルーツとは?
『「地名の歴史」をたどる』
地名発祥の古代・中世の荘園・江戸三百藩、そして廃藩置県から47都道府県に至るまで
地名とは私たちにとって身近なものである。地名から歴史を感じることも多いことだろう。古代人は言葉に呪力があるとする言霊信仰を持っていた。そのため大和朝廷の支配が進む中では朝廷の都合の良い地名変更が行われた。実は平安時代以降は権力者が意図的に変えた例は比較的少ないのである。そして戦後になって恣意的に地名変更が行われる。多様な地名のいわれを探ってみよう。
[保存版特集]
『「地名の歴史」をたどる』
地名発祥の古代・中世の荘園・江戸三百藩、そして廃藩置県から47都道府県に至るまで
■日本人の名字と地名
■地名の基礎知識
■[時代別]地名の成り立ちを紐解く
奈良時代/平安時代/鎌倉時代/室町・戦国時代/安土・桃山時代/江戸時代初期/江戸時代中期・幕末/明治~平成時代
■[真説]江戸の地名の由来
■全国「歴史」地名由来事典
■地名は災害を警告している!
■知れば知るほど語りたくなる地名雑学
第2特集
伊能忠敬 55歳からの夢と偉業
■5つのトピックから知る「伊能図」の世界
■伊能忠敬人物関係図
■「生涯現役」で学び続けた忠敬の73年間
■「思想」と「財政」の風雲児山田方谷
■明治のイノベーター大隈重信……etc
Amazon
<内容紹介>
「山」、「川」、「田」、「村」── 貴族、武士、庶民の名字は8割が地名・地形に由来する!
日本人の名字と地名
田中、森、小川など日本人の名字の8割が地名や地形に由来があるとされる。最初に名字を名乗った古代の有力豪族から、全国に名字を普及させた中世の武士団まで、約10万種あるといわれる日本人の名字のルーツを「地名」という観点から解き明かしていく。
由来で納得! 地名に秘められた意外な歴史
地名の基礎知識
由緒ある地、港町、農村から、あなたの住む町まで、たった一つの地名から、その土地にまつわる歴史や文化、生活など様々な事柄が見えてくる。“歴史の生き証人”と言える地名を手がかりに日本の地名をひもとく基礎知識を解説する。
奈良 平安 鎌倉 室町 戦国 江戸 明治 … どんな地名にも理由がある
[時代別]地名の成り立ちを紐解く
我が国の歴史を地名は雄弁に語ってくれる。大和朝廷の土地開発にちなむ地名、中世の荘園制が生んだ地名、江戸時代の城下町の町づくりがわかる地名などが見てとれる。一方、明治維新後の廃藩置県に伴う合併地名や昭和の番地整理など、地名の変遷を時代とともに紹介する。
【奈良時代/平安時代/鎌倉時代/室町・戦国時代/安土・桃山時代/江戸時代初期/江戸時代中期・幕末/明治~平成時代】
銀座・新宿・麻布・浅草etc. 令和の時代にも使われている地名は、なぜそう呼ばれるに至ったか?
[真説]江戸の地名の由来
約1400万人が暮らす東京。その巨大都市の各所に付けられた地名は、その大半が江戸時代に名付けられている。知らずに呼んでいた地名にも、深い歴史があったのだ。全国的に知名度が高い繁華街から、東京に住んでいる人さえ知らずにいたマニアックなものまで、30の地名の由来を解説する。
[都道府県別]豊かな風土と歴史から生まれた「地名」の由来を探る
全国「歴史」地名由来事典
世界でも有数の地名数を誇るといわれる日本。北は北海道から南は沖縄まで、豊かな歴史と風土から生まれた面白い地名が満載である。まさに「日本地名列島」ともいえる全国47都道府県の各地域の歴史をひもときながら、個性あふれる多種多様な地名と由来を紹介する。
“おもちゃのまち”って日本に実在した⁉ セントレア市ってどこにあるの?… etc.
知れば知るほど語りたくなる地名雑学
日本の地名の中には「えっ⁉」と驚く、耳を疑ってしまう地名からなんと読むかわからない地名など、歴史の中で奇妙な変遷を辿り、長くなってしまったものや謎をもった地名が多数ある。ここでは、地名にまつわる面白ろ話から豆知識までを紹介する。
【第2特集】
『大日本沿海輿地全図』完成200年のいま、その足跡を追う
伊能忠敬 55歳からの夢と偉業
伊能忠敬は1794年(寛政6)49歳の時に隠居を申し出て、55歳の時に蝦夷地に向かったのを皮切りに、日本中へ測量の旅に出る。一日に数十キロを歩いて行われた測量は忠敬の死後に結実。日本初の実測地図『大日本沿海輿地全図』が完成し、幕府に上呈された。その偉業の原動力は、一体何だったのか?地図完成から200年を迎える今、その生涯と足跡を振り返る。
日本初の実測地図はどのように作られたのか?
5つのトピックから知る「伊能図」の世界
日本政府による日本全国の三角測量を終える昭和の初めまで「日本地図」として参照された「伊能図」(大日本沿海輿地全図)。今から200年前、写真やGPSもない時代に伊能忠敬たちはどのような方法で日本全国を測量し、地図を作ったのか。5つのトピックで見ていきたい。
伊能家当主・佐原の名主・測量者・器具のアイデアマンとして活躍
「生涯現役」で学び続けた忠敬の73年間
佐原村の村政をまとめる立場にいた忠敬は、49歳の時に隠居を申し出て家督を長男・景敬に譲る。翌年には江戸に出て、幕府天文方の高橋至時に弟子入りするが、そのバイタリティは一体どこから来たのだろうか?忠敬の人生を時系列で追いながら、「生涯現役」の源を探る。
松山藩政改革に辣腕を振るい、新時代をつくった渋沢栄一や三島中洲の思想の礎を築いた
「思想」と「財政」の風雲児・山田方谷
幕末の備中松山藩で革新的な藩政改革を成し遂げ、その思想をもってのちの明治維新の立役者たちを育成したという松山藩が生んだ偉人「山田方谷」を知っているだろうか?ここでは方谷という人物がいかなる男であったのかに迫る。
大隈重信侯没後100年 鉄道建設・「円」の制定・太陽暦を導入
明治のイノベーター・大隈重信
2021年は、佐賀が輩出した偉人、大隈重信の100回忌の年だった。この節目に合わせたかのように大隈ゆかりの高輪築堤が出土したことはまさに奇跡としか言いようがなく、高輪築堤建設を英断した大隈への注目が高まっている。正解が見えない混沌とした時代を生き抜いた大隈重信。今こそ、維新官僚、政党政治家、教育者、思想家として新しい国づくりに邁進した英傑から学んでいこう。
……etc