【江戸の性語辞典】全国から客が集まった江戸のアダルトショップ「四ツ目屋」
江戸時代の性語④
言葉は時代とともに表現を変え、意味を変えていく──。江戸時代に使われていた言葉が現在では認知させていない言葉となってしまうこともあるだろう。ここでは江戸時代に使われていた「性語」にスポットをあて、当時どのように使われていたのか、という用例とともに紹介、解説していく。
■四ツ目屋(よつめや)
四ツ目屋は、江戸の両国薬研堀に店を構えていた、性具や媚薬を売る店である。
現代のアダルトショップといってよい。
有名だったため、いつしか四ツ目屋はアダルトショップの代名詞になった。また、たんに四ツ目屋で、性具や媚薬を意味することもあった。

江戸の名店・老舗のガイドブック『江戸買物独案内』(文政七年)に記載された「四ツ目屋」。
(国立国会国会図書館蔵)
【用例】
①戯作『旧観帖』(感和亭鬼武著、文化六年)
越後(新潟県)から商用で江戸に出てきた男が、馬喰町の旅籠屋(はたごや)で知り合った男女と連れ立ち、江戸見物に出かける。
越後と呼ばれる男は、連れと一緒に両国にやってくると――
馬喰町から横山町、薬研堀にさしかかれば……(中略)……米沢町のかたへ曲がる。越後は長命丸の看板を見て、
「ははあ、ここは聞き及んだ四ツ目屋だよってに、わしはちと買ってゆきたい品がある。みなさん、そんまゆくほどに、待っておくれ」
――と言うや、越後は四ツ目屋に立ち寄った。
長命丸の看板を見ただけで、四ツ目屋とわかったことになろう。
長命丸は、陰茎に塗る媚薬である。
②春本『東にしき』(文化八年頃)
若いふたりが性交をしていたが、男は早漏で、女が感じ始める前に終わってしまった。不満そうな女の様子を見て――
「そんなら、ほんのちょんの間(ま)で、気がいかねえということか。そんなら、待たんせ。思案がある。俺はこれから四ツ目屋で、なんでもよがる薬を買い、れこさに付けてやりかきょう」
――と、男が言う。
「ちょんの間」は、時間が短いこと。格安の女郎屋の、十~十五分くらいの遊びもちょんの間といった。
また、「れこさ」は、「これ」を逆にした隠語的な言い方で、「さ」は接尾辞。四ツ目屋のよがり薬を「これ」、つまり陰茎に塗ってから、もう一度しようと提案している。名誉挽回の意気込みであろうか。
男は「よがり薬」と称しているが、陰茎に塗って使用するようなので、おそらく長命丸であろう。
男にとって、四ツ目屋は頼みの綱だった。
③戯作『娘消息』(曲山人著、天保七年)
十四、五歳のおべそ、十六、七歳のお初はともに中流の町娘である。ふたりで嫁入り先はどこがいいかなどと他愛ない話をしているうち、おべそが両国の商家がよいと言った。お初が店の名を尋ねると――
べ「あれ、おまえも勘のつけどころが悪いねえ。何だわね、あれ、それえ、四ツ目屋だわね。おほほほほ」
初「おやおや、そりゃあ、あの長命丸を売る内だね」
べ「ああ、あそこにはね、井守の黒焼だの、何かがたんとあると言うから」
初「おやおや、嫌だねえ。そうして、まあ、井守の黒焼がたんとあったら、何におしだ」
べ「そうするとね、わたしゃ、好いた男にみな振りかけて、たんと色男をこしらえるわ」
初「おやおや、誠に浮気だねえ」
――という具合で、こましゃくれた、江戸の若い娘の会話といえよう。
「井守の黒焼」も媚薬である。
おべそとお初は、現在の満年齢にあてはめると女子中学生であろう。そんなふたりがアダルトショップの店名も、アダルトグッズの商品名も知っており、何の屈託もなく冗談の題材にしている。
もちろん、『娘消息』はフィクションだが、当時にあって、現代の中学生くらいの年齢の女の子が四ツ目屋や媚薬をあっけらかんと話題にするのは、けっして誇張ではなかった。
現在、各種の規制により、中学校の周辺や通学路にアダルトショップが店舗を構え、派手な看板を掲げることなどできない。たいていは歓楽街の一画で営業している。
ところが、江戸時代には、教育上あるいは風紀上の理由によるアダルトショップやアダルトグッズの規制はまったくなかった。悪く言えば野放図であり、よく言えばおおらかそのものだった。
おべそやお初が四ツ目屋やその商品を知っており、冗談の題材にするのに、何の不思議もなかった。
江戸の名店・老舗のガイドブック『江戸買物独案内』(文政七年)にも、四ツ目屋は掲載されている。
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