武田信玄公圧勝!「三方ヶ原の戦い」は講談師のお味方(ミカタ)!見方(ミカタ)がハラりと変わる講談のおはなし
桂紗綾の歴史・寄席あつめ 第10回
物事は何事も最初が肝心。年の瀬も迫り、新年から新しい生活や仕事、または新しく何かを始めようとする方も多いはず。ここでは大阪・朝日放送のアナウンサーでありながら、社会人落語家としても活動する桂紗綾さんが自らの新人時代の思い出とともに、講談師として最初に覚えるネタについて“戦国時代の歴史”をからめてつづってもらった。

三方ヶ原古戦場武田信玄と徳川家康が激突した三方ヶ原の戦い。三方原台地の一角が戦いの舞台となったことを示す碑が立つ。最終的には戦国一の騎馬隊を擁した武田軍の圧勝となり、家康は生涯この敗戦を教訓としたとされる。
毎年年末が差し迫るこの時期に各放送局ではアナウンサーの採用試験が行われています。
私も自身の就活時代をしばしば思い出しますが、その頃と世界が大きく変わったことは、ズバリ〝スマートフォンの普及〟です。私が朝日放送に入社した2008年に初のiPhoneが日本に上陸しました。そこから目まぐるしく世の中は変化します。ラジオ・テレビが掌の上から見聞き出来、大勢の人と繋がれて、情報は好きなだけ得られる。このコラムもスマホで読まれている方が多いでしょうね。利便性と高速機能…それとはまるで正反対に位置することの一つが、〝技術の体得〟ではないでしょうか。スポーツでも舞台芸術でも、練習や稽古を通して努力と時間を惜しまず磨いてこそ技術は向上されていきます。
我々アナウンサーも技術を培うため、入社してすぐに厳しい研修があります。
何事も最初が肝心ですね。
朝日放送テレビのアナウンサーは、まず〝長音〟から。「拙者親方と申すは~」という台詞で御馴染みの『外郎売』や早口言葉ではありません。長音、いわゆるロングトーン。腹筋に力を入れ、大きく息を吸い、「あーーーーー!」一息で何秒保てるか。時間を計ると私はたった12秒。先輩アナは頭を抱えていましたよ。そこからは猛特訓!かなり地味です。何しろ一日中「あーーーーー!」しか言わないのですから。でも先輩のサポートもあり、一カ月後には40秒まで伸びるようになったのです。おかげで長い原稿を読むための肺活量と、いかなる時でもしっかり声が出せるよう腹筋・喉が鍛えられました。

朝日放送テレビのアナウンサー・桂紗綾さん
上方の落語家さんが入門してすぐに覚えるネタは大抵『東の旅・発端』です。間抜けな二人がお伊勢参りの旅へと出発する噺。上方落語ならではの見台(けんだい)を子拍子(こびょうし)と張り扇(はりおうぎ)で叩いてカチャカチャパンパン鳴らしながら喋る賑やかな噺です。これが発声や滑舌練習になるとのこと。子拍子の音に負けない大きな声、小気味良いリズム。寄席のトップで汗をかき喋る若手噺家の姿に、客席も応援の眼差しです。
神田伯山さんのブレイクで最近人気の講談。「講談師、見てきたような嘘を言い」なんて言われますが、嘘と分かっていてもそのドラマ性に酔いしれる芸です。例えば、背中を掻く〝孫の手〟が何故そう呼ばれるようになったのか?
ある公家が、背中が痒いが届かない。仕方がないので、自分が持つ〝笏〟で背中を掻いた。「あぁ、気持ち良い…まるでマロの手のようじゃ…マロの手のようじゃ、マロ、マロ、マゴ…マゴの手のようじゃ…」そこから〝孫の手〟になったというのは「ここだけの話にしておいて下さい」で締めくくる。これが確実に爆笑になるのです。
さて、この講談師が最初に覚えるネタが、武田信玄と徳川家康の戦い『三方ヶ原軍記』。こちらも講談のイロハが詰まったネタだそう。軍記ものの見せ場・修羅場読みが基本的で、このネタをお稽古することで発声や独特の調子を習得出来ます。全ての講談師さんはこのネタをとても大切にされています。
三方ヶ原の合戦は、家康の生涯唯一の負け戦。家康は自戒のため、這う這うの体で逃げ帰った浜松城で絵師に自画像〝しかみ像〟を描かせます。信玄の圧倒的強さに対しあまりの恐怖で脱糞してしまった情けない姿。歴史好きな方の中では有名な〝しかみ像〟ですが、最近は製作時期はより後年で、脱糞の事実も否定的な見解が出ています。私は虚実ない交ぜ、エンタメ性を重視した講談が語り継いだことで、このエピソードがまことしやかに広まったのではないかと考えています。「ここだけの話」がここだけにとどまらなかったのではないでしょうか(笑)

徳川家康 しかみ像浜松の三方ヶ原で武田の大軍に無理な戦いをいどみ、負け戦となって多くの家臣を失った家康が、自戒の念を忘れることのないように描かせた絵を元に再現された銅像。
しかし、『三方ヶ原軍記』は「頃は、元亀三年壬申十月十四日甲陽の太守武田大膳太夫晴信入道信玄、甲府に於て七重の調練を整ヘ其勢三萬余騎を従へ、甲州八花形の館を出陣なし…」と、冒頭から聞き慣れない言葉が並び、しかも独特の節で聴くと何を言っているかよくわからない。特に新人の講談師さんでは、お客さんは飽きちゃったり寝ちゃったり。そんなお客さんを見て余計に焦って噛みまくりの大失敗。肩を落として高座を降りた新人講談師は、すぐさまスマホで自撮りをし、猛省せんがため、その〝しかみ像〟を額に入れて床の間に飾る…というのはここだけの話にして下さい!ウソです、ウソ!
あ……「アナウンサー、見てきたような、嘘を言い」って言われそう…(笑)