永遠の相思相愛!武田信玄公と山梨県民~想い続けた〝甲斐〟あった♡~
桂紗綾の歴史・寄席あつめ 第10回
名産品、野球チームなどなど、誰にでもひとつはある“地元びいき”。その中でも根強いのが、“武将”びいきだ。大阪・朝日放送のアナウンサーとして活躍しながら、社会人落語家としても活動する桂紗綾さんが感じている、山梨県民の武田信玄へのひいきぶりとは、一体どのようなものなのだろうか?

山梨県の県庁所在地・甲府の駅前に立つ武田信玄像戦国の世にその名を轟かせた信玄。現在も山梨県民は地元の英雄として尊敬し、信玄公を愛してやまない。
私、大阪の朝日放送アナウンサー・桂紗綾と申します。普段、アナウンサーとして働いている私ですが、もう一つの肩書が社会人落語家です。30歳を過ぎた頃からのめり込み、気付けば自分でも高座に上がるようになりました。落語は戦国時代から続く(諸説あり)話芸であり、民衆にも親しまれ、時代を反映した大衆芸能です。その他の伝統芸能(講談や浪曲・文楽・歌舞伎等)にも影響を受け、もちろん歴史とは切っても切れない関係なのです。
今回のテーマである戦国の英傑、武田信玄公を語る前に、まずはこの話でお付き合い下さい。
〝始末する〟という言葉にはいくつかの意味があります。一つは時代劇でよく出てくる「こやつを始末しちまえ!」という、跡片付けとか処理という意味。もう一つは時代劇でよく出てくる「てえへんだ、何しろこの始末だ…」という悪い結果を表す意味。今一つは時代劇によく出てくる「大五郎、何事も始末して暮らせ…」という倹約の意味です。あらま、〝始末〟という言葉は時代劇によく出てくるんですね。
さて、『始末の極意』という上方落語がございます。倹約の意味での〝始末〟の達人がその極意を若い衆に教えてあげる噺です。しかしその始末は、上杉鷹山公でも思いつかなかった倹約方でして…。以下、真似をしたいと思われた方は是非どうぞ(笑)
字を書いた後に捨ててしまう紙は、三回使う。最初は、白い部分が無くなり真っ黒になるまで字を書く。その紙で鼻をかむ。その裏表を日に当てて乾かし、お便所で落とし紙に使う。
大体三、四年使えばダメになる扇子は、孫子の代までもたせる。その秘技とは…扇子の前で自分の顔を動かす。
梅干しの食べ方。若い衆は、一個を一日三食に分けて食べると言います。朝に皮、昼は実をおかずにし、夜は残った種を塩気が無くなるまでしゃぶる。最後には二つに割って中の天神さんまで出して食べるのだと。

梅干し戦国時代に貴重な保存食として活用された梅干し。戦の際は携帯し、ノドの渇きなどを癒した。江戸時代にはますます需要が高まり、庶民の食卓に並ぶようになったという。
私はこれでもストイックだと思いますが、達人はこれを「贅沢すぎる!バチが当たるよ!」と、たしなめます。梅干しは食べるものではなく、見るものだと言うのです。梅干しをグッと眺め、酸っぱさを想像しながら、ご飯をかき込む。IKKOさんならきっと「どんだけ〜」と言ってくれるでしょうね。
「どんだけ〜」と言うと、私は以前から思っていたことがあります。それは山梨県民における、武田信玄公への愛の深さです。山梨に遊びにいって体感してみてください。お土産物屋さんには右も左も〝信玄ほにゃらら〟だらけ!
一番有名なのは〝信玄餅〟ですね。

桂アナウンサーと『信玄餅』山梨の銘菓として今も人気を集める。山梨県内での信玄愛は未だに大きな影響があり、お土産品の名称に信玄の名が使われることが多くある。
風呂敷を模した包みをほどくと、求肥(ぎゅうひ)にきな粉がまぶしてあり、その上に黒蜜をかけていただく。きな粉と黒蜜の上品な香りに優しい甘さ、お餅の程良い弾力…美味しいですよねぇ。
他にも信玄アイスに信玄プリン、信玄の陣中食だったほうとう、信玄Tシャツ、信玄タオル、信玄キーホルダー、信玄手ぬぐい……どんだけ〜(笑)。武田信玄公を名誉知事にしても良いのではないかと思うほどです。
この現象は各地方でもよく見られます。宮城県仙台における伊達政宗公推し、鹿児島県における西郷隆盛公推し、中には邪馬台国はウチにあったのだ!と、九州と近畿畿内で卑弥呼さまを推し合ったり…(知らんけど)。さりながら、山梨県における信玄公に対する愛は無類です。レベルが違う。県民の皆さんは今でも〝お館様〟と呼んでいらっしゃるのではないかと思うほどです。
信玄公は「人は石垣、人は城、人は堀」を座右の銘にされていた。流石は信玄公…人を大切にする心がしっかり県民に届き、その想いは悠久の時を超え繋がっている。国を大切にしてきた〝甲斐〟があったというものです。
ああ、こんな話をしてたら、信玄餅食べたくなってきちゃったー!(笑)