『堕落語論』~坂口安吾もフランツ・カフカもきっと好きになる落語の世界~
桂紗綾の歴史・寄席あつめ 第14回
西洋では悲壮や悲哀を語る事柄でも、日本、とくに江戸時代を暮らした浪花の町人たちにとってはおもしろおかしく置き換えられてしまうことがある。本稿は大阪・朝日放送のアナウンサーでありながら、社会人落語家としても活動する桂紗綾さんが「人間の堕落」について、江戸っ子の”イキ”を交えつつ最後は落語を通じた笑いで語ってくれた。
「人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は墜ちる。そのこと意外の中に人間を救う便利な近道はない」(『堕落論』著:坂口安吾 より)
〝堕落〟という単語には様々な意味がありますが、いずれも負の印象です。混沌とした昭和の時代に新文学の旗手として文壇で活躍した坂口安吾は、太平洋戦争敗戦直後に『堕落論』を発表しました。

昭和の代表する文豪・坂口安吾の故郷である新潟の護国神社に立つ詩碑。刻まれている「ふるさとは 語ることなし」は、思春期に新潟の実家に背を向け文学の道に進んだ坂口の生涯を物語るような言葉である。
それまでの価値観・倫理を否定し、人間の本質を説いた上記の言葉は、現代においてもハッとさせられるものです。この作品で安吾は時代の寵児となりますが、それは、〝人間は堕落することで救われる〟という新概念を提示してくれたことにより、敗戦で何もかも失った人々の心の負担を少なからず軽くしてくれたからでしょう。そして、時代が変わっても『堕落論』が読まれ続けるのは、生きることに疲れたり、絶望の淵に立たされたりした時に、この一見暗澹たる言葉と思考が安堵をもたらしてくれるからだと推測出来ます。
フランツ・カフカの悲観的な言の葉達も同様です。「無能、あらゆる点で、しかも完璧に」「朝の希望は、午後には埋葬されている」ウィリアム・シェイクスピアの『マクベス』の「The night is long that never finds the day. (夜明けが来ない夜は長い)」を、「明けない夜もある」と訳す人もいます。私達は時として、孤独で悲しい涙の海を漂いたくなる。恋破れた気持ちを癒すために失恋ソングを歌ったり聞いたりすることと同じです。気付けば、墜ちることにより救われているのです。どの時代であっても、実は人間の本質は変わらないからこそ、共感の稲妻が身体を突き抜けていくのでしょう。

ユダヤ人地区の東寄りにあった意味不明の不思議な構図のカフカ像。カフカの複雑な思想を表現しているのかも知れない……。
さて、上方落語の中に『貧乏花見』というネタがあります。
朝からの雨で商売に出られず暇を持て余す長屋の連中が、雨上がりに花見に出かけようということに。その日暮らしもままならない人ばかりなので、飲食物も衣類も代用品で済ませます。お酒は〝お茶け〟、卵焼きは沢庵、蒲鉾はお釜の底〝カマゾコ〟を用意します。また着物は黒紋付かと思えば、長屋の子供達が手習いで真っ黒にした草紙を貼り合わせた紙の着物。上等な洋服かと思えば、裸に墨を塗っている。その姿を突っ込まれると「軽ぅてええで!」と笑い飛ばします。
貧しくても、逆境にあっても、卑屈にならずに陽気に笑う。大らかで洒落た庶民の力。まるでこちらが励まされるようで元気が湧いてきます。「心まで貧乏すなよ。あっちが酒盛りやったら、こっちは茶か盛りや。人間、気の持ちようやないか。〝気で気を養う〟ということを知れ」頭が下がる言葉です。全ては心の持ちようであることを笑顔で教えてくれるのです。

江戸時代、大坂・桜宮には桜並木で有名な神社が並び、毎年春には身分や貧富を問わず人が集まり、花見客でにぎわった。(淀川両岸一覧上船之巻「川崎 桜宮」大阪市立図書館蔵)
落語はかつて〝落とし噺〟と呼ばれていました。噺を落とすから〝落とし噺〟。落とすとは、合点がいったり、期待をすかしたりして噺を終結させることです。これが〝オチ〟と呼ばれるようになりました。
そんな落語の登場人物達はどうしようもなく間抜けで気楽で愚かで、決して恵まれた境遇ばかりではありません。しかし、どんな噺であっても堕落した自分自身を自らの力で楽しめるよう工夫しています。困っている人がいれば周囲が手を差し伸べます。切実な懐事情の家庭からは借金返済を待ってやります。
立川談志師匠は「落語は業の肯定」だと言いました。
とても優しい世界なのです。堕落した人々を明るくたくましく描き、優しく温かい空気で包んでいる。だからでこそ、その堕落した姿に自分を重ねて笑い、泣き、共感し、惹きつけられ、救われるのです。つまり、落語の〝落〟は〝落とし噺〟の意味と共に〝堕落〟の〝落〟でもあるのかもしれません。