青梅市の伝承に登場する雪女の正体とは?
鬼滅の戦史65
明治37年に小泉八雲が著した『雪女』は、東京・青梅市に伝わる雪女物語をもとにしたものであった。連れの老人を殺害してもうひとりの若い男と結ばれるも、最後は約を違えた男のもとを去るというお話。おぞましさをも内に秘めたその雪女の正体とは、山の精霊、雪の精、あるいは行き倒れた女の霊なのだろうか?
老人を殺害し、若い男と結ばれた「雪女」
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雪女『図画百鬼夜行』鳥山石燕筆/国立国会図書館蔵
東京の都心から西に約80㎞、多摩川上流に架かる調布橋(青梅市)周辺を舞台として、雪女なる妖怪伝説が伝えられているのをご存じだろうか? とある男が雪女と出会って結ばれ、子まで産ませたものの、約を違えたことで立ち去られてしまうという物語である。いうまでもなく、小泉八雲が当地の伝承をもとに書き上げた『雪女』の元となったお話だ。少々長くなるが、その全容を垣間見ておくことにしたい。
雪女は悪女なのか?
舞台は、現在の調布橋の袂付近。時は、まだ多摩川に橋が架けられる前のお話である。巳之吉(みのきち)という樵(きこり)の若者と茂作という老人が、川の渡し小屋で一夜を明かそうとしたところから物語が始まる。
深夜、何やら奇妙な気配に気付いて目が覚めた巳之吉。そこで彼が目にしたのが、白ずくめの美しい女で、老人に白い息を吹き掛けて凍死させてしまうというおぞましい光景であった。即座にそれが雪女の仕業だと気が付いたものの、動くこともままならずじっとしていると、その顔が目の前に覆いかぶさってきた。もはやこれまでと諦め掛けたその時、女が「お前は若くて綺麗だから助けてやることにした」と言って立ち去ったというのだ。ただしその際、「今夜のことは誰にも言ってはならない。言えば、命はないものと思え」とも。何はともあれ、ひとまず命拾いしたのだ。
それから数年が過ぎたある日のこと、巳之吉はお雪という名の美しい女と出会う。2人は、恋に落ちて結婚。10人もの子供をもうけたというから、幸せな日々がしばし続いたようである。不思議なことに、この女、子供を何人産んでも、色香が衰えることはなかった。そのせいか、男の恋心が冷めることもなかったようだ。
そんなある夜のこと、子供を寝かしつけたお雪に、巳之吉がふと気が緩んでか、かつて雪女と出会ったことを話してしまったのだ。と、お雪は突然立ち上がって「その時見た雪女は私だ。それを喋ったら殺すと言ったのに…」と憤慨。それでも、我が子可愛さに夫を殺すのも忍びなく、「私に代わって、面倒を見ておくれ」と言い残して、立ち去ってしまったのである。と言うなり、お雪の体は見る見るうちに溶けて、白い霧となって消えてしまったとか。おぞましい妖怪といえども、我が子を思う心持ちは変わらなかったようである。
多摩郡調布村(青梅市)出身の親子から聞いた話がベース
このお話は、もともと八雲が西大久保(新宿区)に住んでいた時に、お手伝いとして働いていた、多摩郡調布村(青梅市)出身の親子・宗八とお花から聞いた話が元になったものとされる。
その後、舞台となった調布橋の袂に、雪女の石碑が建てられた。物語に登場する渡し船や渡し守の小屋なども、昔は本当にあったようである。今はコンクリート製の立派な橋が架けられているとはいえ、取り巻く景観は、おそらく昔のままだろう。鬱蒼(うっそう)と生い茂る木々に陽も遮られて、川岸に暗闇をもたらし、何やらおぞましげな風情が漂うのは、今も昔も変わらないに違いない。
ここに登場する雪女、本性は男に息を吹き掛けて凍死させることも厭わない恐ろしい存在である。まさに、氷のような冷酷な心の持ち主というべき妖怪だ。それでも妖艶さは格別で、並みの男など、容易に蕩かされてしまう悪女というべきか。
山の精霊と言われることもあるが、むしろ、雪の精あるいは雪の中で行き倒れになった女の霊とみなす方が納得できるかもしれない。
また、毎年冬になると現れるとなれば、年神や恵方神などと同様、来訪神とみなすこともできそうだ。来訪神を怒らせると祟るというから、雪女を怒らせるのは要注意だ。ただし、慌ただしい現代では、もはやそんな風情も今は昔。むしろ、会えるものなら会ってみたいとも思うが、果たして?
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年越の晩に訪れ人々に年の折目に祝福を与えるなまはげも一種の年神(歳神)/フォトライブラリー
ここに登場する雪女は、冒頭の老人を殺害しているところから見て、単なる悪女ではない。それはまさに妖怪の為せる技だ。これに男をたぶらかすだけの妖艶さを秘めた悪女としての顔と、さらには子を思う母親としての優しさをも併せ持つという複雑な性格の女だったと見なすのが良さそうだ。