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夫婦和合の神として知られる道祖神はホモ・サピエンスや縄文人とも関係があった?

鬼滅の戦史61


悪霊を追い払うばかりか、導きの神や夫婦和合の神として多彩な顔を持つ道祖神(どうそじん)。その存在は、『記紀』に記されるほど古くから知られていた。そればかりか、遥か2万年前に日本へと陸路をたどってやってきたホモ・サピエンス(新人)に関わっている可能性があるという。一体どのような関係なのだろうか?


安曇野に残された微笑ましい双体の道祖神

安曇野の道祖神 撮影 藤井勝彦

 

 手を携えて仲良く寄り添う二人。時には、頰を寄せるだけでなく、濃厚なラブシーンを演じる場合もある。その双体の石像が、野辺にポツンと置かれた様相は、何とも素朴で微笑ましい。長野県有数の景勝地・安曇野へと足を伸ばせば、そこかしこで目にすることができる路傍の神さま・道祖神である。街道沿いの辻や村の入り口に置かれ、悪霊が入ることを防ぐばかりか、道中安全や夫婦円満から子孫繁栄、果ては縁結びに至るまでご利益を授けてくださるという、ありがた〜い神さまなのである。

 

 その形態は多彩だが、男女が仲良く寄り添う双体の石像は、ここ安曇野が本家本元。安曇野市だけで400体もの石像道祖神があるとされ、その多くが双体。もちろん、全国で一番その密度が高い地域でもある。何十年、何百年前から置かれ続けてきたことは想像できそうだが、古いものでは江戸時代初期にまで遡ると聞けば、その古さに感動さえ覚えてしまいそうである。

 

 ところが、それはあくまでも現存する石像の製造年に限ったことで、道祖神そのものは、どのような形態であったかはともあれ、遥か昔から祀られてきたようである。

 

 例えば、1340年に著されたという『曽我物語』では、縁結びの神として登場。『源平盛衰記』(1249年)では神威ある神として登場しながらも、『宇治拾遺物語』(1218年)では自らを蔑むような格式の低い翁として登場するなど、神威や神格も時代によって様々に受け止められてきたようである。

 

 さらに時代が遡った『今昔物語集』(1108年)では、道案内神としての役割が記されている。『新猿楽記』(1065年)に至っては、性の神という、この神の原初のありようを想像させるような姿で描かれることもあった。

 

 日本最古の長編物語で、紫式部にも影響を与えたといわれる『宇津保物語』にも、「怪しき道祖の神」として登場しているから、同書が成立した900年代末には、すでにその名が知られていたことになるのだ。

 

猿田彦面 九州国立博物館(福岡県立アジア文化交流センター)蔵ColBase

夫婦和合と導きの神

 

 ここで気になるのが、これらの書に記された道祖神の神格である。羅列すれば、縁結びの神、道案内神(「怪しき道祖の神」もこれに含まれそう)、性の神となるが、縁結びの神と性の神は、夫婦和合に結びつくものとして一つにまとめられそうだ。

 

 となると、一般的に言い伝えられる悪霊を防ぐという役割の他、道案内と夫婦和合に関わる神さまという一面も有しているようだ。

 

 このうちの夫婦和合に関しては、男根を象った陽石さえ道祖神と関連付けされることもあるから、当然というべきか。問題は、道案内の神様としての性格である。導きの神と言えば、よく知られるのが、『古事記』や『日本書紀』にも登場する猿田彦だろう。両書の天孫(てんそん)降臨の段に登場する国津神(くにつかみ)で、邇邇芸命(ににぎのみこと)が降臨しようとした際、天の八街で待ち構えて、天孫を葦原中国へと導いた道の神である。この猿田彦が道祖神とみなされるようになったというのも、神格の性格からすれば納得できそうだ。

 

 そればかりか、悪霊を立ち入らせまいとする塞の神としての神格となれば、黄泉の国まで妻を追いかけていった時の説話にも登場している。妻の怒りを買って逃げ惑った伊奘諾尊(いざなぎのみこと)、慌てふためいた挙句投げた杖が、磐石となって道を塞いだという。それが岐神こと塞の神だったというから、これこそが道祖神の元の姿というべきか。

 

酒折(さかおり)神社の丸石の道祖神 撮影 藤井勝彦

丸石信仰はホモ・サピエンスがもたらした?

 

 また、気になるのが、道祖神の分布である。道祖神と見なされる石像が残るのは、主として長野県、神奈川県、群馬県、山梨県、静岡県、新潟県あたり。そのうち、県全域に数多く点在するのは、長野県と山梨県が群を抜いている。

 

 長野県の安曇野が双体の石像が多いことは前述したが、もう一つ特徴的なのが山梨県側で、ここでは丸い石が路傍に置かれることも多い。それも、甲府盆地周辺は丸石を単体あるいは複数を裸のまま台の上に祀り、八ヶ岳南麓では石祠の中に小さな丸石を入れて祀っているというのが特徴的である。

 

 この丸石がなぜこの地域だけに見られるものなのかは、何とも謎。未だ明確に解説されたことがないというのが、実に残念で仕方がないのだ。一切資料がなく、推理するにも仕様が無いというのが現状で、筆者も何度か頭をひねったものの、未だそれらしき推論を導けそうもない。

 

 時代は旧石器時代へと飛ぶが、南アジアと日本が陸続きであった2万年前に目を向けてみると謎が解けるかもしれない。南アジアから陸路をたどってやってきたホモ・サピエンス(新人)が九州に着いた後、木ノ実や貝などの食料を求め、数千年をかけてたどり着いたのが、中部地方から関東地方にかけての一帯であった。そこが縄文人の最も多く住んでいた地域で、前述に記した道祖神の分布エリアと、不思議なほど重なっている。

 

 中でも、丸石が多く見られる甲府盆地や八ヶ岳南麓といえば、特に縄文人が数多く住んでいた地域。と、ここまで状況証拠が揃っていれば、この説もありえる話だと思うのだが、果たしてどうだろうか? この謎が解明されることを願うばかりである。

 

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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