武田信玄の家臣・多田三八郎が退治したという火車とは一体?
鬼滅の戦史57
武田の五名臣の一人と讃えられる多田三八郎(たださんぱちろう)。その名をさらに高らしめたのが、火車(かしゃ)という名の妖怪を退治したことにあった。それは化け猫の妖怪・猫又の変化したものとも言われるが、一体何を物語っているのだろうか?
髻(もとどり)を掴む妖怪の手を斬り落とす
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葬式や墓場から遺体を奪う妖怪・火之車。『火之車図』富田清助氏寄贈 京都国立博物館/ColBase
武田信玄の家臣に、多田三八郎という名の武人がいる。信玄の父・信虎の代から武田家に仕えた足軽大将で、山本勘助や原篤胤(はらあつたね)、横田高松、小幡虎盛(おばたとらもり)らとともに武田の五名臣の一人に数えられるほどの御仁であった。もとは摂津源氏一族・多田源氏の後衛で、全身に27もの傷を負いながらも、29度もの武功をあげたという剛の者で、怪力豪勇の士としても知られていた。
この武人の名を一段と高らしめたのが、実は火車という名の妖怪を退治したことだった。信濃国小懸(ちいさがた)郡塩尻村(上田市上塩尻)にそびえる虚空蔵山(こくうぞうさん)、三八郎がその山頂に築かれた城砦の守備に当たっていた時のことである。月明かりの美しい夜であった。突如、暗雲が差し込み、一帯に風雨が吹き荒れた。不思議に思った三八郎が、怪しげなる者がいないか、物見櫓へと向かい、辺りを見ましていたその刹那、誰とも知れぬ者が、三八郎の髻を掴んで空中に放り投げようとしたのである。
しかし、流石は剛の者。三八郎はひるむことがなかった。何と、自身の髻を掴むその曲者の手を、エイッとばかりに斬り落としてしまったのだ。すると、それまで荒れ狂っていた天候も即座に回復。もとの美しい月夜に戻ったとか。その後、天から落ちてきたのが、鷲の足のようなものであったというが、地元では、これを虚空蔵山に住むクハジャという名の怪物であると伝えている。
実はこれとよく似た妖怪物語が、山梨県甲府市にある湯村温泉にも伝えられている。ここでは三八郎は三八の名で登場。舞台は、天目山である。その麓を三八が通りがかった時のこと。やはり何者かが、三八の頭を掴もうとしたようである。ここでも三八は慌て騒がず、刀でその手を斬り落としたとか。今度は、8尺(5.4m)もの巨大な翼であった。
その続きが面白い。何と、翼を切られたはずの怪物が、法師に化けて、湯村の温泉で湯治していたというのだ。これに気付いた三八が法師に斬りかかったものの、ヒョウと飛び立って逃げてしまったというのだ。落ちたのが翼であり、法師に化けたというところから推察すれば、天狗の仕業であったと解せられそうなお話である。
前述のクハジャと天狗がどのように関連付けされるのかは定かではないものの、三八郎あるいは三八が退治した妖怪物語として、共通の要素を兼ね備えたものであることは間違いない。
悪事を働くと火車に連れ去られる?
ちなみに、ここに登場するクハジャとは火車のことで、『甲斐国志』では地獄の妖怪・火車鬼の名で登場する。この火車、一説によれば葬式や墓場から遺体を奪う妖怪で、年老いた猫が変化した猫又(ねこまた)が正体ともいわれる。
江戸時代に記された説話集『新著聞集』によれば、松平五左衛門なる武士が従兄弟の葬儀に参列していた際、雷雲が轟き、暗雲の中から火車が手を突き出して亡骸を奪い取ろうとした。五左衛門がその手を斬り落としたところ、3本の爪と銀色の針に覆われた腕が落ちてきたとか。前述の塩尻に伝わる説話と瓜二つともいうべき伝承である。
ちなみに、火車とは『宇治拾遺物語』によれば、地獄の獄卒が罪人を奪い取りにくる時に使用する車のことなのだという。つまり、悪事を犯した者が死ぬと、炎に包まれた火の車が迎えにきて、遺体を持ち去ってしまうというのだ。この伝承が伝えるところでは、葬儀は2回催されるとか。最初は偽の葬儀で、棺桶には石を詰めて送り出すというところがユニークである。
では、なぜ火車と猫又が同一視されるのか。それは、歴史的に「魔性の動物」とみなされることの多い猫が、死人を生き返らせる能力があると思われてきたゆえに、死体を持ち去る火車と同一視されたのではないかと考えられるからである。ただし、これは筆者の単なる推測で、真相のほどは不明である。
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ユーモラスに描かれる猫又も。『青樓仁和嘉・通ひけり恋路の猫又』 喜多川歌麿筆 東京国立博物館蔵/ColBase
全国に点在する猫又の伝承
冒頭の多田三八郎の説話とは少々話がずれるが、最後に猫又に関する説話にも触れておきたい。舞台は全国に点在するが、ここでは、富山県、福島県、新潟県、佐賀県に伝わる伝承について記しておこう。
まずは富山県から。魚津市と黒部市にまたがる毛勝(けかち)三山の一つである猫又山という名の山が舞台である。ここでは大猫が人を食ったとのおぞましい話が伝えられているのだ。
次なる福島県では猫魔ヶ岳が舞台。ここを住処とする人食い猫を退治しようとした殿様の奥方がさらわれたことから物語が始まる。これを退治したのが、鉄砲名人の百姓・六三で、猫を退治して無事奥方を救い出したと伝えられている。
また、新潟県上越市には、何千年も生きた猫又がいて人々を苦しめていたが、吉十郎という名の男がこれを退治。遺骸が葬られて猫又塚が築かれたとの話まである。
最後の佐賀県に伝わる話が興味深い。佐賀藩2代目藩主・鍋島光茂の時代のことである。臣下の龍造寺又七郎が、主君の機嫌を損ねたことで惨殺されたことが発端であった。又七郎の母までもがこれを儚んで自害。その苦しい胸中を汲み取った飼い猫が、化け猫と化して光茂を苦しめたという。幸いこの時は、臣下の小森半左衛門が化け猫を退治したことで難を逃れたとか。
ともあれ、前述の多田三八郎が果たして火車に連れ去られるべき罪を犯したかどうかは不明なるも、戦場で敵の首を刈り取るのが仕事と考えれば、さもありなんというべきか。つまるところ、人に恨まれるようなことを行うと、猫又なる化け猫あるいは、火車によって苦しめられるということである。くわばら、くわばら。