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鬼退治で名を馳せた頼光四天王の一人、碓井貞光の真の姿

鬼滅の戦史53


平安時代中期の武将、源頼光の四天王の一人として、その名が知られる碓井貞光(うすいさだみつ)。高望系桓武平氏の流れを汲む名門出身者とも、天涯孤独となって山中で一人修行に励んだともいわれている。酒呑童子(しゅてんどうじ)や土蜘蛛(つちぐも)、あるいは郷土の毒蛇などを退治したとの伝承で名を馳せ、真田信幸につながる四万温泉を開いたなどの説があるが、その実像が語られることは少なかった。いったい、どのような御仁だったのだろうか?


先祖が桓武天皇だったとの説は本当か?

右土蜘蛛の下に臼井貞光こと碓井貞光が見える。『「頼光館土蜘怪異做図」「土蜘精」「源頼光朝臣」「臼井貞光」「渡辺ノ綱」「坂田金時」「卜部季武」「平井保昌」』/都立中央図書館特別文庫室蔵

 酒呑童子や土蜘蛛などを退治したことで知られる頼光四天王、その一人が碓井貞光である。これまで紹介した渡辺綱や坂田金時などに比べると、知名度は今ひとつとの感もあるが、系譜を遡れば、錚々たる人物にたどり着いて驚かされる。父が平忠光(たいらのただみつ)だった(碓井貞兼あるいは橘貞兼、靫負充との説もある)との説が正しければ、貞光は平高望(たいらのたかもち)のひ孫ということになるからだ。高望といえば、桓武天皇の孫あるいはひ孫で、平朝臣を賦与されて臣籍降下した高望系桓武平氏の祖。数ある平姓氏族の中でも、名門中の名門とも言える一族だ。

 

 その桓武平氏の一員が、清和源氏3代目の源頼光に仕えていたというのは何とも不思議な気もするが、鎌倉幕府を打ち立てた源頼朝に仕えた坂東八平氏や北条氏さえ、桓武平氏あるいは伊勢平氏の流れを汲む一族であったことを鑑みれば、特段、異質なことではない。しかも、貞光の父・忠光と、祖父・良文、子(兄とも)・忠通の3人は、その坂東八平氏の一つである三浦氏始祖3代とも言われるから、貞光の子孫は、鎌倉時代以降も政権内に一定の地位を確立していたことになる。平氏の全てが、没落したわけではないのだ。

 

碓井荒太郎の勇力。『少年源頼光と四天王』(大同館書店) 国立国会図書館蔵

 

天涯孤独となって山中で修行?

 

 ただし、前述したようにこの御仁、父が碓井貞兼あるいは橘貞兼、靫負充だったとすれば、話は大きく変わってくる。

 

 群馬県安中市に伝わる伝承によるものであるが、父はもともと北面の武士で、故あって(配流されたとも)碓氷峠(うすいとうげ)の山中で隠棲(いんせい)。そこで妻となった賓頭盧(びんずる)姫が産んだのが貞光だったという。母は貞光を産んですぐに死去。父も貞光7歳の頃に死去して天涯孤独になったため、山中で一人武芸に励んだとか。その場所が、碓氷峠だったというのだ。いうまでもなく、群馬県と長野県にまたがる碓氷峠のことである。

 

 当地には熊野皇大神社があるが、その境外社として貞光を祀る碓氷貞光霊社がある他、貞光力試しの石も。さらに峠下の碓氷山金剛寺には、定光(貞光か)の墓もある。その金剛寺に貞光が帰郷の際に退治した毒蛇の骨が祀られているなどなど、貞光ゆかりの史跡が目白押しなのだ。この辺りを散策しているだけなら、貞光が当地ゆかりの人物であったことを疑う余地はなさそうだ。

 

 ところが、貞光の生誕地には、実のところもう一つ説がある。それが、神奈川県足柄下郡箱根町宮城野にある碓氷峠。宮城野集落と仙石原集落を結ぶ山深い峠で、前述の峠と同じ名称だから、ややこしい。

 

 この峠から北西へ数㎞先に金時山があるが、そこはいうまでもなく頼光四天王の一人である坂田金時こと金太郎が生まれ育ったところ。金太郎を見出したのが貞光だったということを鑑みれば、貞光が相模国側のこの碓氷峠出身だったというのも、なるほどと頷けてしまうのだ。後裔とされる三浦氏が相模国を拠点としていたことも、相模国説を有利に導いてくれそうだが、果たして? 何れにしても、どちらが本当なのか、伝承だけで判断するのは難しそうだ。

 

土蜘蛛退治(大江山鬼退治)の図。『少年源頼光と四天王』(大同館書店) 国立国会図書館蔵

 

四万温泉の開湯に貢献? 真田信幸(信之)も関係している?

 

 これらとは別にもう一箇所、貞光ゆかりの地として語っておかなければならないところがある。それが、群馬県の名湯・四万温泉である。貞光が傷ついた兵とともに、越後から木の根峠を超えて生国である上野国(群馬県)に戻る途中、日向見(ひなたみ)付近で野営。貞光が一心不乱にお経を唱えながらも夢うつつとなっていた夜半、何処ともなく童子が現れて、四万の病をも癒す温泉の在処を教えたという。そこで傷ついた兵士達の傷を癒したことが、四万温泉の始まりだったとか(坂上田村麻呂説もあるが…)。四万温泉最奥にある共同浴場・御夢想の湯がそれである。この霊験に感じ入った貞光は、湯の側に一宇の堂を建立し、自身の守り本尊である薬師如来を安置したという。

 

 御夢想の湯の前に藁葺きの小さなお堂があるが、これは、後に沼田城主となった真田信幸(信之)の武運長久を祈願して慶長3(1598)年に再建した日向見薬師堂で、開基が貞光とされている。貞光が日向守であったところから、この辺り一帯を日向見と呼ぶようになったのだともいわれる。

 

 その真田家に湯守を命じられたのが田村彦左衛門で、その祖父に当たる甚五郎清政が、吾妻の岩櫃城(いわびつじょう)の斉藤越前守基国に仕えていたものの、武田勢に攻められて越後に逃れ、四万山中へとやってきて土着したのが始まり。永禄6(1563)年のことだったという。後に開業したのが、四万温泉きっての名旅館・四万たむらである。その後温泉街も発展の一途をたどり、元禄4(1691)年には関善兵衛が、新たに湯宿を設けた。これが、アニメ『千と千尋の神隠し』の湯屋「油屋」モデルともなった積善館だとか。ともあれ、出自を含めて、謎だらけの貞光。その伝承を追えば追うほど、様々な人物像が浮かび上がってくるようだ。

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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