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幽霊・産女をも意にも介さぬ武将 卜部季武の意外な系譜とは?

鬼滅の戦史52


頼光四天王の一人でありながらも、いまひとつ武勇が語られることの少なかった卜部季武(うらべのすえたけ)。それゆえか、名が知られることも少なかったようである。しかし、その系図をたどってみれば、驚くような人物が飛び出してくる。しかも、季武の実像は実に豪胆で、幽霊である産女(うぶめ)の呼びかけにも全く動じることがなかったほど。その人物とは、いったい何者だったのだろうか?


後漢12代霊帝が先祖という武門一族

渡辺綱、坂田金時、藤原保昌とともに戦う卜部季武 『江戸繪日本史』国立国会図書館蔵

 卜部季武とは、あまり聞きなれない名前である。正式には坂上季猛(さかのうえのすえたけ)、『今昔物語集』では平季武(たいらのすえたけ)の名で登場する平安中期の武将で、数々の鬼退治で名を馳せた頼光四天王の一人である。

 

 その筆頭・渡辺綱(わたなべのつな)の名はよく知られているが、残念ながら卜部季武の名は、あまり知られていない。大江山の酒呑童子(しゅてんどうじ)や土蜘蛛、滝夜叉姫(たきやしゃひめ)退治などでも名は登場するものの、源頼光や渡辺綱ほどの華々しい活躍ぶりが語られなかったからかもしれない。

 

 ところが、この御仁、系図をたどってみれば話は一転。錚々たる人物が登場して驚かされることになる。その正式名が坂上であるところからわかるように、かの征夷大将軍・坂上田村麻呂(758〜811年)の子孫なのだ。田村麻呂は桓武天皇の御代、蝦夷討伐に功績を挙げたことで知られた武将で、後世、武神として信仰の対象ともなった人物である。

 

 さらにその先祖をたどれば、何と、後漢王朝12代皇帝の霊帝も名まで飛び出してくる。その後、裔(えい)を称した阿智王こと阿知使主(あちのおみ)が祖とされているのだ。それは、応神天皇の御代に、百済から多くの民を引き連れて日本へと渡ってきた渡来系氏族の中心人物で、東漢氏の祖ともみなされている。この阿智王から何代目に当たるのかは定かではないが、一説によれば、阿智王の孫が坂上氏を名乗り始めたのだとか。

 

 その真偽はともあれ、坂上氏は武門の一族として栄えたようで、代々、馳射(ちしゃ/走る馬から弓を射ること)が得意だったという。卜部季武こと坂上季猛も、おそらく武芸に秀でた田村麻呂の血を受け継いだのだろう。豪胆さにかけても、四天王の中でもピカイチであった。それを象徴するのが、『今昔物語集』巻二七の第四三に記された肝試しのエピソードである。

 

幽霊・産女(うぶめ)とやりとりする主馬介卜部季武『武和漢百物語』一魁斎芳年筆/国立国会図書館蔵    

幽霊など意にも介さぬ豪胆さ

 

 話は、とある侍部屋に武士どもが大勢集まって雑談していた時のこととして書き進められている。その中の一人が、「川を渡ろうとすると、産女が現れて赤子を抱かせようとするところがあるらしい」と思わせぶりに語り出す。

 

 何でもその女は、川を渡ろうとする人に向かって、「これを抱け、これを抱け!」としつこく言い寄ってくるのだとか。差し出されたのが赤子で、言につられてこれを抱くと、今度は「その子を返せ、返せ!」と追いかけてくるとも。言うまでもなく、難産で死んだ女が成仏せず、悪霊となって彷徨い、相手構わず語りかけてくる女の霊である。と、意味ありげに語る男が、あたりを見回し、「そこに行ってみる勇気のあるやつはいるか?」と問いかけたのだ。誰もが尻込みする中、平季武(卜部季武)だけが、「俺が行ってやろう」と手を挙げたという。

 

 季武が武勇の士であることは誰もが承知していたものの、相手が幽霊とあっては、すぐに逃げ帰ってくると思われていたようで、鎧や兜を賭けて、早々に逃げ帰ってくることを期待していたのである。そんなことなど意にも介さず、川岸へと向かう季武。案の定、川の中ほどまで来たところで、産女が登場。「これを抱け、これを抱け!」という。赤子を抱いて袖の中に入れるや、今度は「さあ返せ!」と。相手が幽霊だと知りながらも、恐る風もなく、「返すものか」と言い放って帰館したというのだ。この季武の態度に、幽霊がどう思ったかは記されていないが、呆気にとられて、すごすごと退散したのかもしれない。むしろ震え上がったのは、後をつけて覗き見していた3人の若者の方であった。腰を抜かすほど驚いた様子が記されている。

 

 ともあれ、季武が館に戻って赤子を見ようと袖を開いてみると、そこにあったのは、数枚の木の葉だけであった。賭けに負けて差し出された鎧や兜も、季武が惜しげも無く皆に返してやったことで、褒め称えられるようになったというのだ。

 

棺内分娩が契機となった、おぞましい風習とは?

 

 ちなみに、ここに登場する産女というのも、あまり聞きなれない幽霊であるが、意外にも、各地で様々な形で言い伝えられているようである。福島県檜枝岐村(ひのえまたむら)では「オボ」と呼ばれ、赤子を抱いた者はその赤子に喉を噛まれるそうである。これを避けるには、赤子の顔を反対側に向けておくと良いのだとか。また、愛媛県では、死んだ赤子を捨てた川から、赤子の泣き声が聞こえてくるという。その声が聞こえてきたら、履いている草履を投げつければ声が止むともいわれている。その他に、赤子を抱くと怪力を授かるなどの伝承まである。

 

 では、この産女の伝説がなぜ生まれたのか? これには一つの仮説が成り立つようである。少々おぞましい話で申し訳ないが、その契機となったのが、医学用語で言われるところの「棺内分娩(死後分娩)」だ。死んだはずの妊婦が、お棺の中で出産するという、科学的根拠のあるお話だ。死後、腐敗した遺体内に溜まったガスが、赤子を押し出すというもの。これを避けるため、妊婦が死ぬと、お腹を裂いて胎児を取り出してから埋葬するという風習まであったとされる。

 

 無事赤子を生むこともできず、無念の死を遂げた妊婦。さらに死してまで腹を割かれたとなれば、世を儚んだばかりか、恨み骨髄に達したとしても無理はない。自ら赤子を抱くことのできなかったその怨念が、通りがかった人に「これを抱け、これを抱け!」と言わしめたのではないか? そんな気がしてならないのだ。

 

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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