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勇将・藤原秀郷(俵藤太)の伝承から見えてくる古代の製鉄氏族と製銅氏族の対立

鬼滅の戦史54


史実として、平将門を征伐したことで名を成したのが藤原秀郷(ふじわらのひでさと)である。そればかりか、俵藤太(たわらのとうた)の名で大百足(おおむかで)を退治したことでも勇名を馳せた御仁であった。気になるのが、その伝承に登場する大蛇と大百足の関係。実は、これがヤマト王権を取り巻く氏族間の対立を意味していたとも考えられる。それは一体、どのようなものだったのだろうか?


軽率な将門に嫌気がさして討伐を決断

『(辰)瀬田橋上に秀郷龍女を救ふ』 都立中央図書館特文庫室蔵

 藤原秀郷といえば、いうまでもなく平将門の乱を平定したことで知られる名将である。

 

 天慶2年(939)、将門が関東八カ国の国府を攻め立てた挙句、新皇と称して朝廷に反旗を翻した時のことである。その征伐を進んで買って出たのが、この御仁であった。もともと将門とは懇意な間柄であったものの、裾にこぼした飯を無造作に払いのける将門の姿に嫌気がさして討伐する側に回ったとの逸話も知られる。将門を見限った秀郷が、将門の従兄弟で、自身にとっても甥にあたる平貞盛(たいらのさだもり)と手を組んで兵を集め、早々に将門軍への攻撃を開始したのである。

 

 秀郷軍4000、対する将門軍は1000。圧倒的に有利と思われたが、南風が吹き荒れ、風上に位置する将門軍が弓を放つのに有利な展開に。しかし、突如風向きが変わって戦況が逆転。とうとう、将門が流れ矢に額を射られ絶命。その首は都に運ばれて梟首(きょうしゅ)、つまり獄門に晒されたのであった。

 

 この功によって、秀郷は下野守や武蔵守に任じられた上、従四位下の官位にまで登せられている。後世の事ながら、鎮守府将軍にまで任じられたというのも、この時の武勇が思い起こされたからに違いない。

 

大蛇が願う大百足退治

 

 秀郷の名が知れ渡ったのは、将門の乱平定だけによるものではなかった。伝説の域を出る話ではないが、近江国の二上山を拠点としていた大百足を退治したことが華々しく語り継がれたことも大きく影響している。

 

 舞台は、琵琶湖南岸に位置する瀬田の唐橋。その橋の真ん中に、大蛇が横たわっていたことから物語が始まる。何日もの間、誰も橋を渡ることができなかったというから、よほど恐ろしげに思われていたのだろう。

 

 ところが、たまたま通りがかった秀郷が、この大蛇をものともせず、平然と踏み越えていったという。驚いたのは、むしろ大蛇の方であった。その夜、宿に美しい娘が訪ねてきた。正体は、昼間踏み越えていった大蛇こと、琵琶湖に住む龍神一族の娘であった。秀郷の武勇を見込んでの来訪だったことはいうまでもない。

 

 彼女の話すところによれば、三上山(『太平記』では比良山とも)に住む大百足が琵琶湖を荒らし回って一族を苦しめているという。ついては、その大百足を退治してほしいとのことであった。彼女の美しさにほだされたからなのかどうか定かではないが、秀郷は即座に快諾。そそくさと百足退治に出かけたようである。

 

 三上山(近江富士、432m)に辿り着いて目にしたのが、何と山を七巻もするほどの大きな百足であった。早速矢を放つも、一の矢、二の矢とも跳ね返されてしまった。秀郷の弓といえば、五人がかりでようやく引くことのできるという五人張りの強弓である。その弓から放った矢さえ跳ね返してしまうのだから、大百足の肌は、とてつもなく頑丈だったようだ。

 

 困り果てた秀郷ではあったが、ここではたと思い起こすことがあった。百足は人の唾に弱いという噂を思い出したのだ。それが本当かどうかかなり怪しいが、ともあれ秀郷はそれを信じて矢に唾を付けた。さらに仏の加護を得んと、南無八幡大菩薩(なむはちまんだいぼさつ)と念じながら三の矢を放ったのである。と、矢は百足の眉間を射抜き、ついにこれを倒すことができたという。

 

 龍神の娘が喜んだことはいうまでもない。秀郷を竜宮に招くとともに、帰り際には、米の尽きることのない俵を始め、山海の珍味の尽きることのない鍋、尽きることのない絹の反物、園城寺(三井寺)に伝わる鐘、飛んでくる矢を避けることができる鎧の避来矢などが贈られたと続けるのだ。

 

 ただしこのお話、舞台は日光の戦場ヶ原だったとみなされることもある。下野国の二荒神が男体山の大蛇に化けて、赤城山の大百足に化けた上野国の赤城神と戦ったことが由来とか。

 

『蒲生氏郷:少年名将』 武田勘治著(大同館書店) 都立中央図書館特文庫室蔵

 

大蛇の製鉄氏族と百足の製銅氏族の対立を象徴?

 

 この琵琶湖と戦場ヶ原の二つの伝承に共通するのは、大蛇と百足の対立である。伝承とはいえ、何らかの史実を踏まえてのことに違いないが、それは一体何なのか?

 

 ここで思い起こされるのが、大蛇が川あるいは水を象徴する龍神であったという点。蛇を神と仰ぐのは海人族である。彼らは、同時に製鉄にも長けた民族であった。

 

 一方の百足といえば、一説によれば鍛治を象徴するものとされる。百足が拠点とした三上山の近くには、和同開珎(わどうかいちん)などの銅銭が数多く出土した宮ノ前遺跡が、赤城山の近くには足尾銅山があるという点が気になるのだ。ともに銅製品の出土地であるところから鑑みれば、百足が銅の鋳造に長けた氏族を象徴するものと見做すことができそうだ。

 

 つまり、大蛇が製「鉄」氏族を、百足が製「銅」氏族を言い表していると見なすことができるかもしれないのだ。突き詰めて考えれば、中国江南からやってきた海人族が、先住の製銅氏族(山岳民族だったかも)を駆逐。それに手を貸したのが、中国北部あたりから、朝鮮半島を経て北九州へとやってきた北方騎馬民族(天神族か)だったのではないだろうか?

 

 遥か以前の話ではあるが、天神族が主催するヤマト王権が、葛城(かつらぎ)氏や和邇(わに)氏ら海人族と連携を組まなければ政権を維持できなかったことに思いが至る。もしかしたらその時の記憶が、この伝説の下敷きになっている可能性も否定はできないのだ。

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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