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貧乏神の正体は「福の神」?

鬼滅の戦史64


「貧しい」よりも、「豊か」であることを願うのが人情というものである。貧乏神が取り憑くことによって貧しくなると思われることが多いが、それは本当のことなのだろうか?「幸」とも大きく関わる「貧」と「福」の問題を、貧乏神を通して考えてみよう。


貧乏が人々を苦しめて鬼にする?

貧乏神と呼ばれる邪鬼窮鬼。『芳年存画』月岡芳年筆/国立国会図書館蔵

 「貧乏にはなりたくない」と、誰しもが思うに違いない。程度の差こそあれ、豊かな暮らしを望むというのが人情である。

 

 『広辞苑』で「貧乏」をひくと、「財産や収入が少なくて生計の思うようにならないこと」とある。貧困、貧窮が同意語のように併記されているが、これは程度の差を考慮せずに並べたものだろう。「乏」よりも「困」が、「困」よりも「窮」がより深刻であることは言うまでもない。

 

 続く「貧乏神」を見ると、「人を貧乏にさせると信じられている神」とある。さらに、「小さく、痩せこけて色青ざめ、手に破れた渋団扇を持ち、悲しそうに立つ」とも。哀れな姿で描かれる貧乏神が、ここでも人々を陥れ、暮らしぶりを悪化させているかのような書きぶりなのである。

 

貧乏神を祀ることで財をなした桔梗屋。『日本永代蔵』/国立国会図書館蔵

 実は貧乏神と福の神は表裏一体

 

 では、本当に貧乏神とは、人々を貧しくする神様だったのだろうか? それを考えるためのヒントを得るために、貧乏神のことを記した井原西鶴の浮世草子『日本永代蔵』から見ていくことにしよう。

 

 同書は、今風に言えば、どのように知恵や才覚を働かせば豊かになれるかを示唆した経済小説である。その巻四の冒頭に登場するのが、誰もが忌み嫌う貧乏神である。この厄介者に取り憑かれたのが、桔梗屋(ききょうや)という小さな染物屋を営む夫婦。あまりもの貧しさゆえか、旦那の方が少々自棄になり、正月早々、人が忌み嫌う貧乏神を祀ってやろうとの風変わりなことをしたようである。藁人形をこしらえて渋帷子(しぶかたびら)や紙子頭巾(かみこずきん)を纏わせ、手に破れ団扇(うちわ)を持たせて松飾りの中に収めたのだ。その上で、七草の日までお供え物をして精一杯もてなしたというから、相当な変わり者である。

 

 ところが驚いたことに、七草の夜、男の枕元にその貧乏神が立ち現れ、奇妙な口上を述べたという。

 

 貧乏神が、「どこに行っても皆から毛嫌いされるのに、お前のようにもてなしてくれるのは初めてだ」と、嬉しそうに語ったというのだ。「金持ちの家に行けば、丁銀を量る音が耳障りで、贅沢な料理も胸につかえて受け入れない。ビロード窓の付いた乗り物に揺られるのも、めまいが起きそう」とも。むしろ「十年も張り替えたことのない行灯の薄暗い光の方が安心する」とまで言う。

 

 結局、いつも貧乏人の家に足が向いてしまうが、そこでも誰一人構ってくれる者もなく、ますます意固地になって、「追い出された家を一層衰微させてしまうのだ」と続けるのであった。

 

 そんな日々が続いていたから、お膳まで用意してもてなしてくれたことに感激。涙が出るほど喜んだようである。褒美として「繁盛させてやろう」と言ったところで、夢から覚めてしまったのである。

 

 男はこの夢を奇妙に感じたものの、何やらありがたい思いがして染め方を工夫。商売に励んだところ、10年も経たずして千貫目余の金持ちになったとか。工夫を凝らして懸命に働きさえすれば、財を成すことができるのだと締めくくるのであった。

 

福の神である浄瑠璃寺本堂吉祥天像/東京都立中央図書館特別文庫室蔵

ほどほどの「貧」こそ「幸」と思うべし

 

 しかしこのお話、よくよく考えてみれば、貧乏神が何か手だてを講じて、夫婦に「福」をもたらした訳ではなかった。単に貧乏神と出会い、その話すところから何かを感じ取った男が、独自に工夫したことが商売繁盛に繋がっただけである。

 

 むしろ極言すれば、「神頼みなんぞ、何の功も無し」と言わんばかりの、自力での成功を推奨しているかのような話なのだ。仮に貧乏神が見えないところで手だてを講じていたとしても、貧乏神が取り憑いたことで福を授かった訳だから、この場合は貧乏神こそ福の神ということになってしまいそうだ。

 

 意外なことに、貧乏神を祀る神社は全国に点在しているが、そのうちの一つである太田神社(文京区にある牛天神北野神社の境内社)に伝わる御由緒にも、よく似た話が伝えられている。小石川の旗本の夢枕に立った貧乏神が、「我のお告げを実行すれば、福を授けよう」と言ったとか。ここでもまた、その神格は、やはり福の神なのでる。

 

 対岸の中国の場合を見てみよう。ここでは、福の神である「吉祥天」と貧乏神とされる「黒闇天」が、姉妹として登場する。つまり、それらは表裏一体の関係とみなされているのだ。

 

 つまるところ貧乏神とは、単に「貧乏」をもたらす神というだけでなく、「福」をももたらす福の神としての顔も併せ持っていると考えるべきだろう。

 

 富貴が必ずしも「幸」を呼ぶものであるとは限らない。そして「貧富」もまた、心の持ち方による部分が大きい。「貧しい」と思う心それ自体がそもそも貧しいとなれば、何をか云わんや。

 

「貧」してもまた楽しいと思えば、それこそが真の「幸」といえるのかもしれない。その反面、「貧すれば鈍す」と「貧」が「鈍」すなわち「心の貧しさ」をもたらしやすいというのも、一つの真理かもいえるのかもしれない。ならば、ほどほどの「貧」に甘んじて「幸」とすべしというところが、適度な立ち位置なのではないか。そう肝に命じたいと思うのである。

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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