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築城名人・加藤清正の城の400年【史上最強の熊本城の歴史─波乱と栄華と復活─】

史上最強の熊本城の歴史 Part.1


戦国の築城名人として知られた加藤清正により、当時の最先端技術と労力を投じて完成した名城・熊本城。築城から400年に亘り様々な舞台となった熊本城の歴史と魅力に迫る!


 

現在も愛される郷土の英雄
熊本に尽くした加藤清正

 

熊本城天守閣

熊本城天守閣大天守と小天守が並び建つ、熊本城。現在の天守閣は昭和35(1960)年に外観復元されたもので、石垣の上にどっしりと構える。大天守は外観3重、内部は地上6階地下1階建て。最上階からは、熊本市内や遠く阿蘇の山並みを見渡すことができる。

 

 熊本には、隈府(わいふ)城を本城とする肥後(ひご)国(熊本県)の守護・菊池(きくち)氏の支城として隈本(くまもと)城が築かれていた。現在の古城町と呼ばれる地域である。しかし、菊池氏の勢力が弱まると、豊後(ぶんご)国(大分県)の大友宗麟(おおともそうりん)が肥後国への進出を図り、隈本城は大友氏に加勢した菊池氏の家老・城(じょう)氏の居城となっている。

 

 そして、隈本城の城氏は天正6年(1578)の耳川(みみかわ)の戦いで大友宗麟が薩摩国(鹿児島県)の島津(しまづ)氏に大敗して没落すると、九州の制覇を目指す島津氏に従った。これに対し、島津氏に圧迫された大友宗麟は、関白として政権を樹立した豊臣秀吉(とよとみひでよし)に接近し、支援を要請。天正15年、豊臣秀吉による島津氏追討が行われることになった。この九州攻めでは、当然のことながら隈本城も攻撃対象となり、城氏は降伏開城しており、豊臣のものとなった。

 

 九州平定後、豊臣秀吉は「此所(隈本)は肥後国の府中」であるとして、織田信長(おだのぶなが)の旧臣であった佐々成政(さっさなりまさ)を隈本城主とする。しかし、佐々成政は領地の検地を強行したことにより肥後国衆一揆を誘発してしまう。失政の責任をとらされた佐々成政は、豊臣秀吉により切腹を命じられてしまった。

 

 こうして、肥後国は北半国が加藤清正(かとうきよまさ)、南半国が小西行長(こにしゆきなが)に与えられ、隈本には19万5000石で清正が入封したのである。清正は秀吉の遠縁にあたり、子飼いの忠臣として仕えていた人物である。

 

加藤清正

加藤清正戦国時代、秀吉の家臣として多くの武勇を残した猛将。戦国一の築城名人としても名を馳せた。(東京国立博物館蔵/出典:Colbese)

 

 天正18年、加藤清正は隈本城の改修を開始する。茶臼山(ちゃうすやま)丘陵一帯の本格的な築城工事は慶長4年(1599)である。ちなみに、翌年に勃発した天下分け目の戦い・関ヶ原の戦いにおいて、清正は徳川家康の東軍についている。そのため、石田三成(いしだみつなり)の西軍についた小西行長が没落すると、その遺領である肥後南半国が加増された。こうして清正は、肥後一国54万石の太守になったのである。慶長12年には天守と石垣を擁する近世城郭として完成し、清正は「隈本」を「熊本」と改名した。これが現在の熊本城である。

 

熊本城

熊本城小天守入口
現在の小天守入口には、かつて城主であった加藤家と細川家の家紋が掲げられている。

 

 清正の死後、子の加藤忠広(ただひろ)が熊本城主となったが、幕府への謀反の嫌疑をかけられた末、加藤氏は寛永9年(1632)に改易(かいえき)とされてしまう。その後は幕末に至るまで、細川氏が熊本城の城主となった。それでも、熊本城の基礎を築いたのは加藤清正であり、また治水にも尽力をしていたことから、現在でも清正は「清正公(せいしょうこう)」と呼ばれ、人々に慕われている。

 

<熊本城の歴史>

熊本城年表

熊本城年表

 

 

2016年「熊本地震」被災…。瀕した危機‼
遠い道のりにも負けず完全復活へ‼ 復興城主求む

 

熊本城

美しい熊本城を再び!復興する熊本城を見学できるように設けられた特別見学通路。

 

 戦国の築城名人・加藤清正の築城から400年。鉄壁といわれる縄張りや日本人なら一度は目にしたことのある武者返しと呼ばれる急勾配な石垣などを有し日本三名城の1つに数えられる。明治初めに西南戦争に巻き込まれ、一度は焼失するも熊本市民の熱意により復活。その歴史のなかで危機を乗り越えてきた。

 

 そんな熊本城を悲劇が襲った──。平成28年に発生した「熊本地震」である。熊本城は江戸時代や明治時代にも地震や水害による天災に遭遇してきたが、平成28年の地震はその中でも大規模なものとなった。重要文化財建造物13棟、復元建造物20棟の被災、石垣の崩落・膨らみ・緩みなど517面と、甚大な被害報告が記録されている。

 

崩落した石垣想像以上に悲惨な崩落をした石垣。多数にわたる被災箇所はまだまだ手が回り切っていない。

 

 現在、復興に向け修復中ではあるが、道のりは遠く長い。復興が完了するのは2037年度になるという。とくに困難とされるのが「石垣の積み直し」。緻密に積み上げられた石垣は加藤清正による築城当時のものもあり、崩落した石材は元の位置を違わぬよう、厳密に作業が行われている。

 

 修復の力となっているのは、なんといっても全国から集まる寄付によるところが大きく、総額50億を超えたという。その寄付金は復興する熊本城を見学できるように設けられた特別見学通路の開設や天守閣・長塀の修復に活用され、これらの作業は実現・完了した。今もなお、完全復旧・復興を目指し、全国の人々に協力を求める「復興城主」プロジェクトは活動中である!

 

復興城主とは…?

平成28年熊本地震により甚大な被害を受けた熊本城の復旧・復元は、長い年月と莫大な費用を要することが見込まれ、多くの皆様からのご支援を必要としております。現在、皆さまからのご支援により少しずつ復旧工事が進んでいますが、まだまだ困難な道のりは長く、そのための寄付金募集プログラムが「復興城主」です。

 

【特典】
1回につき1万円以上の寄附をされた方を「復興城主」として登録し、3つの特典をご用意しています。①城主の証し「城主証」の発行 ②熊本市の観光施設や協賛店で特典を受けることができる優待証「城主手形」の発行(個人のみ) ③城主になられた方の御芳名をデジタル芳名板(大天守4階及び熊本城ミュージアムわくわく座2階の専用コーナーに設置)に掲載。

城主証

城主手形

※手形特典は寄付金額に応じて期間が異なる。

 

デジタル芳名板
芳名板は訪城への動機づけとなり、訪城ならではの感傷に浸ることができる。

※芳名板への掲載は申し込みから約3ヵ月後。

 

 

【寄付の方法】

①ふるさと納税サイトから
熊本市外の方は「3つの特典」以外の返礼品も選ぶことができます。
[問]熊本市ふるさと納税受注センター ☎096-288-3990

 

熊本城復興城主

 

ふるさとチョイス

 

楽天ふるさと納税

 

②お振込み
専用の振込用紙を「熊本城総合事務所」より公式HPまたは電話で請求してお取り寄せいただき、最寄りの郵便局よりお振込みください。
[問]熊本城総合事務所 ☎096-359-6475

 

③窓口(現金受付)
「桜の馬場城彩苑」内の熊本城ミュージアムわくわく座1Fロビー専
用窓口、または熊本城総合事務所にて受付。係員に申し出ください。
[問]熊本城総合事務所 ☎096-359-6475

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過去記事

小和田泰経おわだ やすつね

大河ドラマ『麒麟がくる』では資料提供を担当。主な著書・監修書に『鬼を切る日本の名刀』(エイムック)、『タテ割り日本史〈5〉戦争の日本史』(講談社)、『図解日本の城・城合戦』(西東社)、『天空の城を行く』(平凡社新書)など多数ある。

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古代の都と遷都の謎

「古代日本の都と遷都の謎」今号では古代日本の都が何度も遷都した理由について特集。今回は飛鳥時代から平安時代まで。飛鳥板蓋宮・近江大津宮・難波宮・藤原京・平城京・長岡京・平安京そして幻の都・福原京まで、謎多き古代の都の秘密に迫る。遷都の真意と政治的思惑、それによってどんな世がもたらされたのか? 「遷都」という視点から、古代日本史を解き明かしていく。