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近藤・土方の弟分ながら、敵対し散った生え抜きの隊士‟藤堂平助”

新選組隊士列伝 『誠』に殉じた男たち 第6回

 

新選組結成以来の生え抜きで、近藤や土方、永倉などに可愛がられた藤堂。血気盛んな性格で、「魁先生」というあだ名もあった。最後は近藤たちと袂を分ち、伊東甲子太郎が立ち上げた「御陵衛士(高台寺党)」に加盟。伊東暗殺直後の新選組との斬り合いで討ち死。

 

 藤堂平助(とうどうへいすけ)は弘化元年(1844)生まれ。伊勢・津藩、藤堂和泉守の御落胤(らくいん)、という説もあるが真偽のほどは不明。江戸・玄武館で北辰一刀流(ほくしんいっとうりゅう)を学んだが、天然理心流・試衛館にも入り浸り、近藤らと親しく付き合った。年齢は藤堂が近藤よりも10歳年少になるが、近藤は年の離れた弟のように藤堂を可愛がった。後に新選組を離れて行くきっかけになったのが、玄武館で教えられた伊東甲子太郎との縁であった。

 

 文久3年(1863)春の浪士隊に藤堂も近藤らと参加した。藤堂は、剣術も使えるし、学問もある人物であったから、文武両道に秀でた剣士という位置付けであった。新撰組結成時の『尽忠報国勇士姓名録』には「藤堂当時20歳」と記載されている。新撰組結成時には最年少の隊士ということになる。だが、その腕前や学問を買われ、8番隊長となる。

 

 元治元年(1864)6月5日夜の「池田屋騒動」での藤堂の奮戦ぶりは特に名高い。近藤、沖田らと池田屋に討ち入った藤堂は、ここで長州藩などの志士20数名と遭遇した。やがて斬り合いになった。死闘であった。藤堂は、後の近藤の書簡に寄れば「(刀の)刃先がささらの如く」なった、という。斬って斬って斬りまくった、という印象である。折から夏の真っ盛り。夜とはいえ京都は蒸し暑い。その中で、奮闘していたのだから、藤堂の目にも汗が流れ込む。

 

「熱すぎる。目に汗が入っては敵が見えぬ」。藤堂は、汗を拭うために額に付けていた鉢金(はちがね/鉄製の鉢巻きのようなもの)を外した。一瞬の油断でもあった。鉢金を外した瞬間、押入に隠れていた敵が飛び出して来て、藤堂に斬り付けた。額を割られた藤堂は、その場に昏倒(こんとう)した。止めを刺される直前、飛び込んできた永倉新八(ながくらしんぱち)が、その敵を斬り倒したために、藤堂は殺されずにすんだ。命には別状はなかったが、藤堂は重傷であった。

 

 療養に専心した藤堂は回復した。この時期に藤堂の勧めによって新撰組に入ったのが、江戸にいた伊東甲子太郎らであった。伊東は勤王思想を奉じており、最初から近藤らと思想的にも合わなかった。結果として、伊東らは慶応3年(1867)3月に新選組とは別派となる禁裏御陵衛士を拝命し、高台寺党なる一党を組織した。この高台寺党に藤堂も、伊東との昔からの絆によって新選組を離れることになる。新選組の生え抜き隊士としては(密偵の原田左之助を除いて)、藤堂のみが離脱したことになる。

 

 やがて、近藤らは伊東排除(暗殺)を実行に移す。慶応3年11月18日夜、近藤らの罠によって伊東は惨死した。その亡骸を運ぶために伊東が殺され、晒されている油小路に向かった藤堂は、待ち伏せている新選組と乱闘になった。近藤や土方は「藤堂だけは助けたい」という気持を持っていたが、本人の藤堂は伊東の仇討ちに本気であった。四方から攻撃を受けた藤堂は、初太刀を浴びせたものの遂に追い詰められた。しかも新選組はすべて鎖帷子で完全武装しているから、斬っても手傷を負わせられない。追い詰められた藤堂を、またしても永倉が助けた。戦う振りをして道を開けてくれたのだった。だが、その逃走の途中で、待ち構えていた別の隊士に背中から斬り付けられた藤堂は、結局斬り死にする。藤堂の遺体は、横腹、両足、顔面まで傷を負い、愛刀の「上総介兼重(かずさのすけかねしげ)」を握り締めたままだったという。藤堂平助、享年24。

 

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江宮 隆之えみや たかゆき

1948年生まれ、山梨県出身。中央大学法学部卒業後、山梨日日新聞入社。編制局長・論説委員長などを経て歴史作家として活躍。1989年『経清記』(新人物往来社)で第13回歴史文学賞、1995年『白磁の人』(河出書房新社)で第8回中村星湖文学賞を受賞。著書には『7人の主君を渡り歩いた男藤堂高虎という生き方』(KADOKAWA)、『昭和まで生きた「最後のお殿様」浅野長勲』(パンダ・パブリッシング)など多数ある。

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