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ミッドウェー海戦で日本海軍の優位を覆した「運命の5分間」とは?

今月の歴史人 Part.5


太平洋戦争での日本軍は劣勢だったイメージが定着しているが、開戦から半年間は連合軍を相手に連戦連勝だった。その勢いを、一気に反転させてしまったのが「ミッドウェー海戦」である。その背景には、連勝と急激な戦線拡大により、日本軍の統率が及ばない一部の状況があった。そんな状況下で、ミッドウェー海戦の戦況を決定付けたのは、「わずか5分間」の間に起きた出来事だった。今回はその5分をリアルタイムで追う。『歴史人』2021年8月号 「日米開戦80年目の真実」『形勢逆転を許した「ミッドウェー海戦」」』より)


 

勝敗を決した2度の兵装転換から被弾まで
ミッドウェー海戦のリアルタイム動向

現在のミッドウェー島。向かって左側がサンド島で、右側がイースタン島。ともに環礁に囲まれている。当時のアメリカの飛行場はイースタン島にあり、陸海軍の航空隊が駐屯していた。

7時22分米軍爆撃機隊攻撃開始までの経緯

時刻 日本軍 アメリカ軍
日本時間 6月5日 04:15 先に向かった攻撃隊からの「再度陸上爆撃を行う必要がある」 との報告を踏まえ、南雲司令官 は対艦から対地上用装備へと、 兵装転換を命じる。 アメリカ軍は南雲機動部隊の位置をほぼ特定。「エンタープライズ」「ホーネット」から攻撃隊が発進。
05:37 空母の発見報告を受けて、再度 の対艦用への兵装転換を命じる。 しかし攻撃隊の収容と重なり、 甲板上は大混乱となる。 空母部隊のスプルーアンス少将 は発進可能な航空隊から順次攻撃に向かわせた。これが結果的 には勝因のひとつとなる。
07:22 零戦の多くがアメリカ軍の雷撃 機の迎撃のために低空におりていた。そのため上空の敵影に気 付いた頃には、すでに手遅れだった。 「エンタープライズ」「ヨークタウ ン」の艦上爆撃機隊が続々と南雲機動部隊上空に集まり、一斉に攻撃を開始する。
07:26 「加賀」、「蒼龍」、「赤城」へと爆弾が降り注ぎ大爆発が起こる。 大火災が発生、のちに3隻とも沈没に至る。 艦爆隊がそれぞれ急降下し、爆撃を実施。若干の損害を出したものの、ほんの数分間で多大な戦果をあげる。

 

勝敗を左右した二度の兵装転換

 

 6月5日の早朝、ミッドウェー環礁に爆音が轟き、やがて鳥が滑空するように100機を超える航空機が急迫してきた。日本海軍の暗号Dをすでに米軍は解読し終えており、敵を邀撃(ようげき)するべく出撃していたのだ。暗号Dは米諜報部ではJN-25と呼ばれ、略式符号のAFがミッドウェーで、AOがアリューシャンであることが突き止められていた。

 

 迎撃機は戦闘・雷撃・爆撃の混成攻撃隊だったが、午前3時16分から開始されたこの空中戦はわずか15分で決着がつき、あとは日本軍機による空襲に終始した。指揮所、発電所などの施設が破壊され、炎風に爆発物の欠片が混ざり、降り注いだ。

 

 このとき、頭上を飛び交う日本軍の飛行部隊は、第1機動部隊の司令長官南雲忠一(なぐもちゅういち)中将の命令により空母・赤城(あかぎ)から出撃してきた友永丈市(ともながじょういち)大尉指揮のミッドウェー空襲隊だった。懸吊(けんちょう)しているのは、800キロ爆弾。他の空母からも零戦などが急迫していた。

 

 その頃、南雲機動部隊は先述の迎撃機に苦しめられていた。南雲はミッドウェー基地が健在と判断した。攻略部隊を上陸させるために、一刻も早く基地を壊滅せねばならない。午前4時15分、南雲は各空母の攻撃隊に「第2次攻撃、本日実施。待機攻撃隊、爆装に換え」と、対艦から陸用爆弾への換装(かんそう)を命じた。

 

 同時刻、エンタープライズとホーネットは攻撃編隊を発艦させた。大慌ての出撃で、甲板整列も戦闘機隊の護衛もあったものではなく、準備ができた飛行隊から次々に発艦という掟破りの出撃だった。5時30分、ヨークタウンも攻撃隊を発進させた。

 

 ややあって、ミッドウェー基地を攻撃した友永隊が赤城上空に還ってきたが、正にそのとき、眼下では友永隊とすれ違ったミッドウェー基地航空隊が赤城を攻撃中だった。こうした3者の航空機が入り乱れた状況下、第2航空戦隊(飛龍、蒼龍)を率いていた山口多聞(たもん)少将は、もはや一刻を争う状況と判断するや、南雲に打電して意見を具申した。

 

〝直チニ攻撃隊発進ノ要アリト認ム〟

 

 一説には「現装備ノママ直チニ攻撃隊ヲ発進セシムルヲ至当ト認ム」だったともいうが、意味は変わらない。陸用爆弾のまま直ちに攻撃隊を発進させるべきと伝えた。ところが、南雲は進言を却下した。攻撃を受ける前に再度兵装転換を行い、その後の発進でも間に合うと判断した。しかし、この判断は過ちだった。敵は、1分たりとも待ってはくれない。

 

 7時22分、加賀の見張り員の悲鳴と共に悲劇が始まった。エンタープライズ艦爆隊が急降下、対空砲火も間に合わず甲板後部に1発の爆弾が炸裂、続いて3発の投弾が艦橋付近に命中した。艦橋が破壊されて岡田次作(じさく)艦長は戦死、6時間後、代わって指揮を執っていた天谷孝久(あまがいたかひさ)飛行長が総員退去を決めた。乗組員は駆逐艦の萩風(はぎかぜ)と舞風に移乗し、さらに3時間後、立て続けに爆発が生じ、加賀は水平を保ったまま沈んでいった。

 

 7時23分、ヨークタウンの艦爆隊がエンタープライズの艦爆隊とほぼ並行して蒼龍へ肉迫、攻撃。艦体に3つの爆炎が騰がった。被弾から20分後、総員退去が発令。ほぼ4時間後に再度爆発、楠本幾登(くすもといくと)飛行長は残員の救出は不可能と判断して退いた。9時間後、蒼龍沈没。

 

 7時24分、エンタープライズ艦爆隊が赤城に急降下して、1弾命中。これにより兵装転換中の攻撃機、爆弾などに誘爆、大火災が発生した。発艦寸前の零戦が爆風に煽られて逆立ちとなり、淵田美津雄(ふちだみつお)中佐も飛ばされ、両足を骨折。南雲司令部は内火艇に乗り込んで退艦し、軽巡洋艦の長良(ながら)に移乗した。18時間後に南雲の命により、赤城は雷撃処分された。

 

 これは「運命の5分間」といわれる。

 

 ただ、これは参謀や隊長たちの誤謬(ごびゅう)でしかない。負け惜しみを言い換えただけで、要するに「悪夢のような5分間だった」ということだ。悲劇に至らしめないためには、「兵装転換を速やかに済ませる」もしくは「兵装転換をせずに直ちに出撃する」のいずれかしかあり得なかった。

 

『歴史人』2021年8月号 「日米開戦80年目の真実」『形勢逆転を許したミッドウェー海戦」』より)

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