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朝ドラ『あんぱん』ドラマより親密だった母との関係 伯父・寛さんが登喜子さんに金銭を送っていた理由とは?

朝ドラ『あんぱん』外伝no.36


NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』、第10週は「生きろ」が放送された。いよいよ嵩(演:北村匠海)が出征する日がやってきた。伯母の千代子(演:戸田菜穂)が震える声で「お国のために立派に……」と言いかけた時、母の登美子(演:松嶋菜々子)が「死んじゃだめよ!」と叫ぶ。登美子をかばったのぶ(演:今田美桜)まで憲兵に連行されそうになるなか、嵩はそれを止めるために声を張り上げて「立派にご奉公してまいります」と宣言した。今回はドラマとは異なっていた史実における母子の関係を掘り下げる。


 

■再婚したはずの母と東京で再会

 

※本稿ではデビュー後のお名前をペンネームの「やなせたかし」で表記、幼少期~学生時代に関する記述を本名で表記しています。予めご了承ください。

 

 やなせたかし氏(本名:柳瀬 嵩)の実母・登喜子さんは、父・清さんと同郷で大地主の家に生まれ、田舎でありながら都会的で華やかな家庭環境で育った。高知県立第一高等女学校に在学中に結婚するも、間もなく離縁。その後、登喜子さんは清さんと2度目の結婚をして嵩さんと弟の千尋さんをもうけた。

 

 大正13年(1924)、清さんが病没した時、登喜子さんは30歳。2歳の千尋さんを清さんの兄・寛さんのもとへ養子に出し、4歳の嵩さんと実母・鐵さんを連れて高知市内で新生活を始めた。やなせたかし氏は後年、著書において華やかな着物や化粧、甘い香水の香りをまとい、同年代の女性よりも随分と綺麗だった母親のことを誇りに思っていたと述懐している。

 

 嵩さんが小学校2年生になった頃、再婚話が持ち上がり、登喜子さんは官僚だった男性と3度目の結婚を決意(お相手は高知出身ともいわれる)。相手には既に子がいたこともあって、登喜子さんは嵩さんを寛さん夫妻に預けることにした。

 

  この時の登喜子さんの胸中はじつに複雑だっただろう。大黒柱だった清さんを亡くし、幼い子を抱えて必死に生計を立てようと苦労したという。嵩さんの教育には心血を注ぎ、映画や芝居を一緒に観にいくなど、愛情深い人でもあった。それでも当時女手一つで子を育てることは決して簡単なことではなかったし、登喜子さんにしてみればいっそ嵩さんを寛さんに託したほうが良い環境で勉学を修めていけるという思いもあったかもしれない。

 

 その後、登喜子さんは3度目の結婚相手だった男性にも先立たれ、遺された家に住んでいたという。死別した時期は明言されていないが、やなせたかし氏は著書の中で、登喜子さんが東京の世田谷区大原町という場所に住んでいたこと、そして、その近くに叔父・正周さん(寛さんと清さんの末弟)が勤めていたということを書き残している。

 

 嵩さんはというと、旧制専門学校・東京高等工芸学校の図案科(現在の千葉大学工学部)に進学。そこで、思わぬ展開を迎える。長年秘書を務めた越尾正子さんの著書『やなせたかし先生のしっぽ ~やなせ夫妻のとっておき話~』によると、当時の下宿先の主人が金にだらしなく、下宿代がごまかされるようになったことを嵩さんが登喜子さんに話したところ、自分の家に引っ越してくるよう言ったというのだ。

 

 この時嵩さんは頭を悩ませたのではないだろうか。というのも、自分を育ててくれた伯父・寛さんは、進学のためとはいえ、登喜子さんが住んでいる東京へ行くことを危惧していたというのだ。恐らく、伯母・キミさんへの遠慮もあっただろう。2人は実の親ではなくとも、学費や下宿代を出し、嵩さんが金銭的に困らないように仕送りまでしてくれていた。とはいえ背に腹は代えられない。結局、嵩さんは登喜子さんの申し出に従って、世田谷区の家で一緒に暮らし始めた。

 

 驚くのは、寛さんが登喜子さんに対して金を送っていたことである(これもやなせたかし氏ご本人が越尾さんに明かした事実だそうだ)。これは嵩さんの“下宿代”として支払われていた。邸宅を持ち、恐らくはある程度の遺産もあったであろう登喜子さんに対して、彼女の実の息子の下宿代を払う……。この行動には寛さんの律儀な性格が表れているとも思えるし、正式な養子ではなくとももう嵩さんは自分の息子なのだというある種の矜持を示していたようにも感じられるエピソードである。

イメージ/イラストAC

<参考>

■やなせたかし『アンパンマンの遺書』(岩波現代文庫)

■やなせたかし『人生なんて夢だけど』(フレーベル館)

■高知新聞社編『やなせたかし はじまりの物語: 最愛の妻 暢さんとの歩み』

■越尾正子『やなせたかし先生のしっぽ ~やなせ夫妻のとっておき話~』(小学館)

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