武士のあいだで衆道がもてはやされた「衆道(しゅうどう)」【江戸の性語辞典】
江戸時代の性語74
ここでは江戸で使われていた「性語」を紹介していく。江戸時代と現代の違いを楽しめる発見がある。
■衆道(しゅうどう)
男色のこと。
江戸時代初期、とくに武士のあいだで衆道がもてはやされた。
大名などの小姓は、衆道の相手、つまり肛門性交の相手だった。

【図】大きな陰茎への対処法(『艶道日夜女宝記』月岡雪鼎、明和元年頃、国際日本文化研究センター蔵)
(用例)
①春本『男色山路露』(西川祐信、享保十八年頃)
ここに山本重八とて、隠れなき男色の達人あり。おそらく日本回国して、国々衆道の修行なし、
全国色修行をしたわけだが、あくまで衆道だった。
②春本『男色山路露』(西川祐信、享保十八年頃)
この男、生まれついての女嫌い、衆道こそ恋の上盛り(うわもり)ならめと、深く思い込みけるが、
「上盛り」は、最上の意味。
③春本『会本夜水交』(月岡雪鼎)
衆道一度(ひとたび)のおこないにて、女道三度にまさるという。
男色一回は、女色三回に匹敵するという。
④春本『艶道日夜女宝記』(月岡雪鼎、明和元年頃)
衆道は玉門と違い、穴小さき物なれば、大なる一物は受けがたし。しかるときは、図のごとく、うつむけになりて、股を広げ、息をつめて、穴を内へひくようにすれば、茎(へのこ)入らぬなり。
肛門は陰門にくらべて、穴が小さい。そのため、巨根を受け入れるのは大変で、工夫が必要だった。
図は、上に述べた通りの姿勢である。大きな陰茎への防御法という。
⑤春本『帆柱丸』(喜多川歌麿、享和元年)
殿の寵愛を受けている小姓が述懐する。
「殿には衆道をお好みにて、年ごろ我らが後門に打ち込み給い、
『伝え聞く女の蛸つび、巾着ぼぼとやらんはいざ知らず、へのこの雁首、締め付けて、淫水をしごきいだす心地よさは、そのほうが名穴(めいけつ)』
と、有難い仰せ」
「蛸つび」(第24回)、「巾着ぼぼ」(第33回)は、ともに女性器の名器のこと。
「淫水」は、精液である。
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歴史人 大人の歴史学び直しシリーズvol.4
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