処女のことを江戸時代には「生娘(きむすめ)」と呼んだ【江戸の性語辞典】
江戸時代の性語71
ここでは江戸で使われていた「性語」を紹介していく。江戸時代と現代の違いを楽しめる発見がある。
■生娘(きむすめ)
処女のこと。まだ性経験のない女。
あらばち(新鉢・新開)ともいう。

【図】生娘かどうかを鑑定。(『艶道智恵海』絵師不明/国際日本文化研究センター蔵)
【用例】
①春本『絵本花乃香』(西川祐代)
男と女(一)の情事を、女(二)がのぞき見しながら、つぶやく。
男「もう、痛みはせまいがの。それ、みな入った」
女一「はい、もう、痛うはござりません。どうやら、ようなりました」
女二「色々の曲取りの術も知っていながら、痛いの、恥ずかしいのと、生娘のような顔していくさるは。ほんに今どきの娘に油断はならぬ」
女(一)は生娘ではないにのに、生娘をよそおっているのだろうか。
②春本『艶道智恵海』(不明)
生娘か、そうでないかの鑑定法。
生娘か又は男の肌を知りたる女かの目利き。
まず御虎子(おまる)に灰を入れて、女をその上にまたがり、つくばわせて、女の鼻の穴へ紙のこよりを入るべし。女、くさめをするなり。さて、女を立たせて、あとの灰をみるべし。灰、ぱっと散りたれば、この女、男の肌をふれたり。灰、散らざれば、新開(あらばち)と知るべし。疑いなし。
「御虎子」は、室内用の便器。
新開は、処女のこと。「あらばち」は、第17回を参照。
【図】は、女を御虎子にまたがらせ、鑑定するところである。はたして、わかるものかどうか。
③春本『欠題艶本』(不明)
まず十四、五歳になる生娘は天地自然の道理にて、淫心しきりに発動するの時なれば、玉門(ぼぼ)ばかり気がはいり、そのことのみ思い暮らしているものなり。
女は十四、五歳になれば、生娘であっても心の内はみな淫乱ということだが、もちろん男の勝手な理屈である。
④春本『艶本枕文庫』(北尾政美、天明二年)
所やの床で、新郎が新婦に陰茎を握らせる。
「いざ、まず二世の固め」
と、ひたと抱き寄せ、持ち添えている物、ずくりと握らせられて、
「おお、恐(こわ)らしい」
と、手を引いて、生娘めかせ、顔隠せば、
女は男体験は豊富なのだが、さも初めてのふりをしている。
⑤春本『色能知巧左』(喜多川歌麿、寛政十年)
ある所に、十四になる娘、名はお高とて、まだ手入らずの生娘、
「手入らず」は、セックスの経験がないこと。
男にとって、十四歳の女はすでに性の対象だった。
[『歴史人』電子版]
歴史人 大人の歴史学び直しシリーズvol.4
永井義男著 「江戸の遊郭」
現代でも地名として残る吉原を中心に、江戸時代の性風俗を紹介。町のラブホテルとして機能した「出合茶屋」や、非合法の風俗として人気を集めた「岡場所」などを現代に換算した料金相場とともに解説する。