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徳川家康は本能寺の変が起こる直前どのように過ごしたのか⁉ そのとき織田武将たちは⁉

徳川家康の「真実」


織田信長が暗殺された本能寺の変のとき、徳川家康が堺に滞在していたのは有名である。このとき、史実では家康はどのように過ごしていたのか? またその他の織田方の有力武将たちはどこにいたのか?


 

■徳川家康は安土で豪華な歓迎を受けた!

 

安土城
信長が築城した天下一の城といわれる城。現在は石垣などが残されている。山の中腹には家臣団屋敷跡があり、城山の中心部への通路は、南正面から入る大手道のほかに、東門道、百々橋口道、搦手道などの跡が残る。

 

 徳川家康は甲斐・武田氏を破った功労を織田信長に讃えられた。天正10年(1582)5月15日、徳川家康は織田信長の招きで近江国・安土城(あづちじょう)へ。気前の良い振る舞いを受けた一行は、信長から勧められるまま、21日には京都、29日には堺に入り、賑わう町を見物した。同日は信長側近の松井友閑(まついゆうかん)、6月1日には、朝は茶湯の天下三宗匠のひとり・今井宗久、昼は堺の商人・天王寺屋宗及(てんのうじやそうきゅう)、夕は再び松井友閑主催の茶会に呼ばれるなど、雅な時間を楽しんだが、6月2日、堺を出て帰途に就こうとした一行のもとへ、茶屋四郎次郎(ちゃやしろうじろう)が驚く知らせを手に駆け付けた。

 

今井宗久
信長がもっとも信頼したともいわれる茶人。信長に名物などを献上し、信長が茶の湯に没頭するきっかけをつくったとされる。堺で権力をもち、信長に領地まで与えられている。(国立国会図書館蔵)

 

【本能寺の変時の織田家有力者たち】

[羽柴秀吉]

織田信長の命で中国攻めの最中。西国の雄・毛利輝元らと対峙していた。

[丹羽長秀]

織田信長の3男・神戸信孝と境周辺で四国攻略軍を集結中。秀吉帰京後に合流する。

[柴田勝家]

越後の上杉攻めの最中。上杉謙信を継いだ景勝方の城を攻略中であった。

[滝川一益]

関東・東北攻略の準備中。交戦はなかったが、いつなんどき周辺武将が動くかわかならい状況で動けず。

 

監修・文/島崎晋

(『歴史人』20232月号「徳川家康の真実」より)

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