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将軍が大奥幹部から挨拶を受ける朝の「総触」

「将軍」と「大奥」の生活⑪

■朝の総触に臨む時は将軍は正装が作法だった

総触の舞台は、御鈴廊下脇の御小座敷だった。大奥造営に関わった豊田家に残る『豊田家文書』所収の御小座敷断面図。赤枠の部分が上段で、総触の際に将軍が座する場所。『御上御鈴廊下脇御小座敷建地割図』都立中央図書館特別文庫室

 朝の支度が終ると、四つ半時(午前10時)に将軍は神棚を拝みに、大奥へ出向く。それが済むと中奥に戻り、四つ過ぎに袴に着替え、御錠口(おじょうぐち)から御鈴廊下(おすずろうか)に入り、大奥の御小座敷に向かう。

 

 そこで、御台所と御目見(おめみえ)以上の奥女中の挨拶を受ける。これを「朝の総触(そうぶれ)」といい、必ず行なわれる行事であった。

 

 テレビドラマなどでは、この時に御鈴廊下に女中たちがずらりと居並び、平伏する中を将軍が歩く姿があるが、あれは誇張された演出である。総触は毎朝の行事であるから簡素化されていた。

 

 とはいえ大切な行事なので、将軍は裃(かみしも)に二本差しの正装で出向く。大奥泊まりをした翌朝でも、一度中奥に戻り身支度を整えてから、再び御鈴廊下を通った。このことは、大奥が将軍にとって重要な場所であったことを物語っているといえる。

 

 総触が行なわれる場所は、御鈴廊下脇にあった御小座敷であった。ここは、大奥における将軍の居間であり、将軍が夜に大奥入りする際の寝所でもあった。

 

■総触に大奥から参加する女中は10人超

 

 大奥には公家や旗本の娘などの上臈御年寄(じょうろうおとしより)、小(こ)上臈、御年寄などからなる御目見以上の者や、御家人、陪臣(ばいしん)の娘などの御目見以下がおり、将軍の奥泊まりがある場合、寝所に湯を運ぶなど、さまざまな世話をする。御台所と一緒に総触を受ける女中は、その中のごく一部の幹部である。まさに「御目見得(おめみえ)」を受ける名誉でもあった。

 

『旧事諮問録』には、幕末に元中臈(ちゅうろう)の役にいた箕浦はな子の証言が記録されている。それによると、大奥から総触に参加するメンバーは「御台様、御年寄四人、中年寄一人、御中﨟頭一人、御中﨟六、七人」とある。時代によって異なってはいただろうが、幹部女中は10人超であったと考えられる。

 

 総触は夜にも1回行われていた。もっとも、夜の総触はやはり『旧事諮問録』の箕浦はな子の談によるものなので、江戸時代全般を通じて行なわれたかの裏付けはない。時間は五つ(20時)。大奥泊まりの日は、将軍は夜の総触後に大奥に居続け、泊まらない日は中奥に戻ったとある。

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歴史人編集部れきしじんへんしゅうぶ

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