歴史上の人物を四柱推命で鑑定!第87回~豊臣秀吉~
百姓から成り上がった愛すべき天下人
知性、行動力、人脈、自立心、遊び心 5つの星すべてを備えるスーパーマン

秀吉の菩提を弔うために正室のねねが建てた高台寺(著者撮影)
歴史上の人物に迫るには様々なアプローチがあるが、ここでは四柱推命(しちゅうすいめい)という手法を用いて、歴史上の人物がどんな性格であり、なぜ成功したのか(失敗したのか)を読み解く。※四柱推命の説明はページの最後をご覧ください。
今回は、天下人、豊臣秀吉を四柱推命で鑑定する。農民出身とされる秀吉の生年月日は明らかではないが、「天正記」等から天文6年(1537)2月6日が有力とされる。今回は、この説をもとに秀吉の四柱推命鑑定を行う。
豊臣秀吉
生年月日: 天文6年2月6日(グレゴリオ暦:西暦1537年3月27日)

豊臣秀吉:天文6年(1537)2月6日生まれの命式表
秀吉の生年月日から命式表を割り出すと上記のようになる。この中で、性格を表す、通変星・蔵干通編星をわかりやすく円グラフに表すと、知性30%、遊び心30%、行動力20%、人脈10%、自立心10%となった。

豊臣秀吉:天文6年(1537)2月6日生まれの場合の性格
知性…様々な分野の知識が豊富で、何かを学ぶことに喜びを感じる。頭の回転が速く、物事を論理的に捉えることが上手
行動力…頭で考えるよりも行動で結果を出す。未知の分野に挑戦する意欲が強く、交渉力や営業力を磨けば成功できる
人脈…さりげない気配りができて誰とでも仲良くなれる。サービス精神が旺盛でコミュニケーション能力も高く人を動かせる。
自立心…他人に依存することなく、自分が信じた道を突き進む強い精神性。リーダーシップを発揮し、フリーで活躍できる。
遊び心…楽しいことを企画する等、生活に遊びを取り入れることが自然とできる。芸術面の才能があり、表現力が豊富。
これらをもとに、秀吉の性格を読み解いていく。
○五徳!稀に見るバランス人間!
通変星は、上の円グラフに示したように、知性、行動力、人脈、自立心、遊び心の5つの星からなるが、秀吉はこの全ての星を持っている。五徳(ごとく)と呼ばれ、バランスが取れ、一人で何でもできるスーパーマンである。
これは、かなり珍しい。これまで筆者は約100名の歴史上の人物を鑑定してきたが、出会うのは2人目だ。もう1人は渋沢栄一(しぶさわえいいち)。幕臣から官僚になり、500もの会社設立に携わり、実業家として大成功を収めた栄一だが、彼と同じくらいバランス感覚がいいと言えるだろう。史上に名を残す人物は、どこか1つの能力に特化している場合が多く、性格のバランスが悪い場合も多い。例えば、モーツァルトは70%が人脈、スレイマン1世は70%が自立心という具合だ。しかし、宣教師・ルイスフロイスの「日本史」では秀吉について、「抜け目なき策略家であった」と書かれているように、そのバランス感覚を上手に生かし、信長のもとで大出世、最後には天下人に成りつめたといえるだろう。
〇お役所勤めが向く真面目人間!
「印綬(いんじゅ)」「正官(せいかん)」「正財(せいざい)」という、お役所向きの真面目な星を持っている。決まったルールのもとでコツコツと働くことができる。身分制度が厳しかった当時、農民出身は大きな足かせとなったことだろう。人に取り入るのがうまかった、人たらしと伝わる秀吉だが、周りに認められるには、それなりの下積みも必要だろう。秀吉は、清洲(きよす)城でお城の石垣管理や土木・上水管理・台所奉行など、誰もがあまりやりたくない仕事を率先してやったと伝わる。
〇楽しいこと大好き!
命式表に「食神(しょくじん)」を持っている秀吉。これは、遊ぶのが大好き、食べるのが大好き、おしゃべりが大好きという子どものような星。1554年から信長に仕えた秀吉だが、信長に「サル」と呼ばれて、かわいがられていたという。陽気で明るい人物だったのだろう。
しかし、子どもっぽいという性格は、時として残虐な行為につながりかねない。子どもは生き物の命の大切さよりも遊びを重視し、時として残虐なことをする。筆者も子どものときに水たまりでアリを泳がせて遊んでいたことがある。アリも泳げるようになるだろうという仮説のもとの遊びであったが、今となって考えると、アリにとっては生命の危機…。泳いでいたのではなく、必死で足を動かして危機的状況を回避する方法を探していたのだ。アリには大変申し訳ないことをしたと思っている。何を伝えたいのかというと、子どもっぽさは、残虐的な行為に繋がりかねないということだ。
秀吉は甥で二代目関白であった秀次(ひでつぐ)を追放、切腹に追いやり、その後、幼子、女性も含め、一家全員39人を公開処刑した。秀次を切腹に追いやった理由は、実子・秀頼(ひでより)の誕生で疎ましくなったから等、諸説あるが、何らかのトラブルがあった可能性もあるため擁護できるものだったとしても、女性、子どもを含めて一家全員、それも三条河原で公開処刑するとは、他に例を見ないほど無慈悲だ。朝鮮出兵でも現地の人々を次々と惨殺する等、晩年は特に痛ましい話が多い。
晩年の秀吉はアルツハイマーだったとか、脚気(かっけ)を患っていたとか諸説あり、精神錯乱の可能性もあるが、無慈悲な行為の裏側には、子どもっぽい性格があるのかもしれない。
〇奥さんを大切にするタイプ! だけど根っからの浮気性!
命式表に「正財(せいざい)」を持っているが、これは男性にとって結婚運の星。家庭的で奥さんを大事にすると言われる。一方で、十二運星に「沐浴(もくよく)」を持っているが、これは浮気性の星。飽きっぽく放浪好きで、何をしでかすかわからない危うい星だ。
これは秀吉のイメージ通りだろうか。秀吉の女性好きはよく知られるところだ。秀吉には20人もの側室がいたと言われるが、手をつけた女性やお世話をする女性を含めるとそれ以上で、ルイスフロイスの目には300人もの愛人がいるように映ったという。これは、きっと「沐浴」からきているのだろう。浮気性で衝動的なため、すぐ次々と女性に手を出してしまう。
しかし、その一方で正室のねねを生涯大事にしたのだとか。2人は当時としては珍しい恋愛結婚。当時、秀吉の身分が低かったため、ねねの母親は大反対したそうで、結婚式も質素だったという。子どもには恵まれなかったものの、ねねは秀吉を支え続けた。そんな、ねねに秀吉は生涯敬意を払い続けた。晩年は特に、よく、ねねのもとを訪れていたという。
〇女王様の星!
十二運星に「冠帯(かんたい)」を持っているが、これは女王様の星。人の上に立つことが得意というのはもちろん、社交性が高く、おしゃれが好き。
秀吉は、金にこだわった。それまでも軍装や愛用品に金を用いることはあったが、秀吉のそれは度が過ぎている。障子と畳、打掛(うちかけ)以外、全て金で作ったという黄金の茶室は有名だが、秀吉の城、聚楽第(じゅらくてい)も黄金の城と伝わる。自らの意思でたった8年で取り壊されてしまったため、その様子は絵からうかがうことしかできないが、城の屋根だけでなく、秀吉直属大名の屋敷の屋根も全て金箔瓦を使用したそうで、黄金の街並みがあったと想像される。また、衣装もなかなかのもので、金や赤をあしらい、派手な格好をしていたという。おしゃれ…という言葉で語られるかはわからないが、自分なりのこだわりで、一つの文化を作り上げたといえるだろう。
以上、豊臣秀吉について四柱推命で鑑定してきたが、秀吉の生年月日については諸説あり、どれも決定的な証拠はないものの、今回鑑定した天文6年(1537)2月6日は、四柱推命的にかなり秀吉を表していると思う。バランス感覚に優れ、根は真面目だが、浮気性や衝動性を秘めている…そんな人柄だったのではないだろうか。

政庁・邸宅・城郭などの機能を集約した建築物として、秀吉が建てた聚楽第の跡地(著者撮影)
■四柱推命とは?
古代中国で生まれた「過去、現在、未来」を予見する運命学のひとつで、陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)をもとに、人が生まれながらにして持っている性格、能力、素質を理解し、その人の努力や経験で変わる後天的な運命までも予測することができる。
具体的には、生まれた日(生まれた年・月・日・時間)をもとに命式表(めいしきひょう)を作成し占っていく。なお、ここでは生まれた時間は鑑定に含めていない。