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歴史上の人物を四柱推命で鑑定!第85回~明智光秀特別編② 享禄元年(1529)8月17日生まれの場合~

織田軍随一の切れ者の実像に迫る

大胆な行動力と繊細さを兼ね備えた光秀像

現在は京都市中京区寺町通御池下ル下本能寺前町にある本能寺。本能寺の変が起こった当時は別の場所であったが、天正19年(1951)に秀吉の命で現在の場所に移転した/著者撮影

 歴史上の人物に迫るには様々なアプローチがあるが、ここでは四柱推命(しちゅうすいめい)という手法を用いて、歴史上の人物がどんな性格であり、なぜ成功したのか(失敗したのか)を読み解く。※四柱推命の説明はページの最後をご覧ください。

 

 今回も前回に引き続き、大河ドラマ「麒麟がくる」の主役、明智光秀を四柱推命で鑑定する。光秀の生年月日は諸説あり、前回の記事では享禄元年(1529310日で鑑定を行った。今回の鑑定では、史料『明智一族宮城家相伝系図書』による、享禄元年817日生まれとする説を取り上げ、この日に生まれた場合の光秀像を明らかにする。

 

明智光秀➁

生年月日:享禄元年817日(グレゴリオ暦:1528910日)

明智光秀:享禄元年8月17日生まれの命式表

 光秀の生年月日から命式表を割り出すと上記のようになる。この中で、性格を表す、通変星・蔵干通編星をわかりやすく円グラフに表すと、行動力10%、遊び心10%、人脈50%、自立心0%、知性30%となった。

明智光秀:享禄元年(1529)8月17日生まれの場合の性格

知性…様々な分野の知識が豊富で、何かを学ぶことに喜びを感じる。頭の回転が速く、物事を論理的に捉えることが上手

 

行動力…頭で考えるよりも行動で結果を出す。未知の分野に挑戦する意欲が強く、交渉力や営業力を磨けば成功できる

 

人脈…さりげない気配りができて誰とでも仲良くなれる。サービス精神が旺盛でコミュニケーション能力も高く人を動かせる

 

自立心…他人に依存することなく、自分が信じた道を突き進む強い精神性。リーダーシップを発揮しフリーで活躍できる

 

遊び心…楽しいことを企画する等、生活に遊びを取り入れることが自然とできる。芸術面の才能があり、表現力が豊富

 

 これらを材料に、享禄元年817日生まれ光秀の性格を読み解いていく。

 

○とっても真面目でお役人向き

 光秀は、命式に「印綬(いんじゅ)」「正官(せいかん)」「正財(せいざい)」を持っている。これらはどれも正統派の真面目な星であり、この3つを併せ持っていると、お役人向きといわれる。勉強が得意なので公務員試験に合格し、仕事もしっかりかっちりこなし、周りと信頼関係も築ける。

 

 しかし、型にはまった仕事が得意な一方で、動乱に弱く、未曾有の事態が起きたときに柔軟な対応が取れない。これらの星は、そんなイメージだ。

 

 光秀を見てみると、動乱とともにあり、動乱とともに散っていった、そんな人生だ。若年期のことはほとんど現代に伝わっていないが、足利義昭に仕えていたところを、織田信長に仕えるようになり、信長のもとで戦に明け暮れ、最後は本能寺の変でその信長を討つという、世紀の大革命を引き起こした。


 果たして、お役人タイプの人物がわざわざ本能寺の変を起こすだろうか…。もし起こすことがあれば、いわゆる「キレる」状態だろうか。

 

 本能寺の変の真相をめぐっては、実際にそのような説を唱える学者もいる。しかし、光秀は、あの用心深い信長を裏の裏まで読み込み、綿密な計画を立てて、本能寺の変を成功させた人物だ。当時、あれほどの大革命を成し遂げた理由として、ただ「キレた」だけでは説明ができないだろう。

 

〇とてもいい人!気遣い上手!

 命式に「正財」を2つ持っているが、この星は人脈の星と呼ばれるように、コミュニケーション能力の高い星である。人当たりがよく、様々な人と信頼関係を築き、いい人脈を築くことができる。

 

 光秀は恐らく気遣いが得意だったのだろう。多くの領民に慕われ、いまでもその土地の人々に愛されている。その偉業として3つが挙げられる。

 

 まず、光秀は国人衆を家臣とした。当時、どこの国にも「国人衆」というその土地を支配する領主がいた。国人衆はほとんどが治外法権の政治を行っていたため、統治者が変わる度に淘汰され、新しい統治者に取って代わられる場合が多かった。しかし、光秀はその国人衆を家臣に取り立て、領民の生活を変えることなく統治し、光秀の善政を領民に行き渡らせた。

 

 次に、福知山の治水だ。福知山は沼地で昔から水害に悩まされてきた。そこで、光秀は福知山の治水に着手し、由良川(ゆらがわ)の流れを変えて堤防を築き、岸に竹を植えた。この堤防は「明智藪」と呼ばれ、いまでも地元の人々に愛されている。

 

 3つ目に、商業政策だ。光秀は地場産業を奨励した。戦で疲弊した農民の年貢を減らしたり、商業地の税金を免除したりしたほか、独占販売を禁止した「楽市楽座」政策をとるなど、自由で公正な商いを推進した。

 

 これらはいずれも、相手を思い、相手の立場に立った政策だ。今でも地元の人々から愛される光秀は、人脈を築くのが得意だったのだろう。

明智光秀が天正5年(1577)ごろ、丹波攻略の拠点として築城した亀山城の跡地(京都府亀岡市)/著者撮影

 

〇石橋をたたきまくる超慎重派!

 命式表に「正財」と「印綬」を併せ持っているが、星同士の相性が悪いため、この組み合わせはある意味で危険と言われる。慎重で考えすぎた挙句、物事を前に進めることができなくなってしまうのだ。石橋を叩いて叩いて叩き続けて…やがて橋が壊れてしまって「ほら、やっぱり壊れたから渡らなくてよかったでしょ!」と言いかねないタイプだ。

 

 光秀が定めた18か条の軍規は、鉄砲、槍、指物(さしもの)、幟(のぼり)の数をしっかり規定するなど、類がないほどの細密さだったという。その点は、慎重派の光秀像と重なる。

 

 しかし、再び本能寺の変に目を向けてみると、本能寺の変までの計画は綿密だったにせよ、その後の構想が少々お粗末な感じは否めない。直属の家臣であった、細川藤孝、筒井順慶が味方に付かなかったのは恐らく本人的にも誤算だっただろう。超慎重派の光秀であれば、本能寺の変のその先も見越して、各大名と申し合わせ、宣誓書を書かせ、人質をとった上で本能寺の変を起こしそうなものだ。いや、結局躊躇してやめてしまう可能性も大いにあるが…。

 

〇実はスピリチュアルさん

 命式表の中で、月柱(げっちゅう)は、仕事や結婚を表す最も重要な場所とされるが、光秀はこの月柱の十二運星に「死(し)」を持っている。これは、スピリチュアルの星で、感覚が鋭く、神通力があり、相手の嘘を見抜くことができる。これを月柱に持っている光秀は、かなりの感覚派だった可能性がある。つまり、直観力を持っていたということだ。

 

 もともと仕えていた足利義昭を見限って信長に仕え、その後次々と戦に勝利し才覚を現した光秀は、確かにスピリチュアル的な能力があったと言えばそうなのかもしれない。

 

 以上のように、今回は諸説ある光秀の生年月日から、享禄元年817日説を採用し、四柱推命鑑定を進めてきた。筆者個人の感想としては、人脈を築くのが得意という点を除いては、光秀のイメージとは若干異なる気がした。慎重派やお役人タイプという結果となったように、この命式を見る限り、とてもわざわざ信長に仕え、本能寺の変を起こすようには思えない。

 

 勝手なる光秀像を求め、次回は有力とされる他の生年月日で、光秀を四柱推命で鑑定する。

■四柱推命とは?

古代中国で生まれた「過去、現在、未来」を予見する運命学のひとつで、陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)をもとに、人が生まれながらにして持っている性格、能力、素質を理解し、その人の努力や経験で変わる後天的な運命までも予測することができる。

具体的には、生まれた日(生まれた年・月・日・時間)をもとに命式表(めいしきひょう)を作成し占っていく。なお、ここでは生まれた時間は鑑定に含めていない。

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妃萃(本名:油川さゆり)(ひすい)
妃萃(本名:油川さゆり)ひすい

青森県八戸市出身。慶應義塾大学 社会学研究科 教育学専攻 修士課程修了、同研究科 同専攻 後期博士課程在学中。2013年鳥海流・鳥海伯萃より四柱推命の指南を受ける。これまで500人以上を鑑定。多数の弟子を輩出。

元放送局報道記者。フリーアナウンサーとして、BS11の番組にレギュラー出演しているほか、ナレーターや司会として活動中。日本の歴史、伝統芸能を伝えるため、歴史勉強会、その他イベントを主宰。自身も大和言葉、辞世の句、武田氏と油川氏等について講演活動を行う。合同会社真己、共同代表。また、2016年6月から「カミムスヒ」というソングユニットで歌手活動を開始。手話検定3級、ホームヘルパー、視覚障害者ガイドヘルパーの資格を持ち、社会福祉活動に積極的に携わる。

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