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歴史上の人物を四柱推命で鑑定!第81回~足利義昭~

波乱万丈の人生を全うした室町幕府15代将軍

バランスに優れ実は副将向きだった?

足利家の菩提寺である等持院の表門近くの門には、足利家の家紋(足利二つ引)が大きくあしらわれている/著者撮影

 歴史上の人物に迫るには様々なアプローチがあるが、ここでは四柱推命(しちゅうすいめい)という手法を用いて、歴史上の人物がどんな性格であり、なぜ成功したのか(失敗したのか)を読み解く。※四柱推命と用語の説明はページの最後をご覧ください

 

 今回は、室町幕府最後の将軍・足利義昭を四柱推命で鑑定する。次々と有力武将に頼りながら将軍職にこだわり続けた義昭。彼は13代将軍・兄の義輝同様、頭脳派だったのか? はたまたバカ殿だったのか?

 

足利義昭

生年月日: 天文6113日(西暦15371215日)

足利義昭の命式表

 義昭の生年月日から命式表を割り出すと上記のようになる。この中で、性格を表す、通変星・蔵干(ぞうかん)通編星をわかりやすく円グラフに表すと、人脈50%、行動力30%、知性10%、遊び心10%という結果になった。人脈、行動力、知性の3つは社会生活を送る上で欠かせない星であるが、義昭はめずらしくこれを全て持っている。バランスの取れた性格と言える。

足利義昭の性格

 

知性…様々な分野の知識が豊富で、何かを学ぶことに喜びを感じる。頭の回転が速く、物事を論理的に捉えることが上手

 

行動力…頭で考えるよりも行動で結果を出す。未知の分野に挑戦する意欲が強く、交渉力や営業力を磨けば成功できる

 

人脈…さりげない気配りができて誰とでも仲良くなれる。サービス精神が旺盛でコミュニケーション能力も高く人を動かせる。

 

自立心…他人に依存することなく、自分が信じた道を突き進む強い精神性。リーダーシップを発揮しフリーで活躍できる。

 

遊び心…楽しいことを企画する等、生活に遊びを取り入れることが自然とできる。芸術面の才能があり、表現力が豊富。

 

 これらを材料に、義昭の性格を読み解いていく。

 

〇バランスのとれた性格!

 義昭は通変星に「人脈」「行動力」「知性」を全て持っているが、このような人物を三徳(さんとく)と呼び、社会生活が送りやすくバランスが取れた性格を意味する。一般には三徳の人物は一定数いるが、クセの強い戦国武将の中では、これを持つ人物はなかなか珍しい。つまり、性格のバランスが悪く、エネルギーの強い武将ほど這い上がりトップに立ったのが戦国時代だ。

 

 ちなみに、これまで鑑定した戦国武将の中では、三徳を持っていたのは、黒田官兵衛くらいだったろうか。官兵衛は次々と主君を変えながら、軍師として活躍した。義昭も、戦国時代においてはトップというよりは、ナンバー2や中間管理職に適した性格だったといえる。

 

〇自立心がない!リーダーには向かない!

 三徳は持っているものの、自立心は持っていない義昭。自立心は強い精神力を持ちリーダーとして活躍できる星であるが、義昭にはこれがないため、将軍向きの性格であったか否かに疑問が残る。

 

〇人に騙されやすい!

 義昭は命式表に、「偏財(へんざい)」+「絶(ぜつ)」の組み合わせを持っている。これは人に翻弄されやすく、お人好しで人に騙されやすい性格を意味する。それも、月柱(げっちゅう)という、結婚や仕事を表す一番大事な部分に持っており、義昭は人生の大事な時に人からだまし討ちをくらってきた可能性がある。しかも「絶」は精神的孤独の強い星でもあり、人から騙された時のショックも深いものだったのだろう。

 

 これは、義昭のイメージ通りだろう。義昭はまさに人に翻弄された人生であった。12代将軍・足利義晴の次男として生まれた義昭。大和(奈良)の興福寺で僧侶生活を続けてきたが、1562年に兄・義輝が松永久秀らに殺害されると、細川藤孝や三淵藤英らの手助けを受けて寺を脱出。その後、将軍就任を目指すための放浪生活を続けた。1568年、明智光秀や細川藤孝らの働きにより、織田信長の助力を得て室町幕府15代将軍に就任。幕府を再興した信長を父と呼ぶまでに慕っていたが、信長が自らに都合のよい内容で「殿中御掟(でんちゅうおんおきて)」を出すと、これに激怒。浅井長政、朝倉義景、武田信玄らとともに信長包囲網を敢行するも、信玄の死などもあって、最終的に京都を追われ、室町幕府の終焉を迎えた。

 

 信長の本意はわからないが、義昭からすると、信長に騙されたという気持ちだったのだろう。また、明智光秀、細川藤孝も、織田家の家臣となった。それほどお人好しで相手を信じやすい性格なのだろうが、将軍としてはその素直な性格が仇となっている。

 

〇変化が好き!ベンチャー向きの性格!

 義昭はバランスが取れた性格ではあるものの、変化を好む奇抜な星が目立つ。例えば、「偏印」は海外好きで個性的な性格、「偏官」は行動的攻撃的で野性的な性格である。公務員のようなお堅い仕事よりも変化の激しいベンチャー企業が向くタイプだ。だからこそ、室町幕府再興のために一旗揚げようという気になったのだろう。

 

 義昭のそのひらめきと行動力は目を見張るものがある。朝倉、織田、毛利、豊臣…と情勢に合わせてコロコロと依頼人を変え、生き残りを図った。兄・義輝を討った松永久秀とも手を組んでいる。室町幕府は滅亡したとはいえ、義昭は61年の天寿を全うしたわけだし、ある意味先見の明があったのだろう。何より本人がこの変化の激しい生活を望み、楽しんでいた可能性がある。

 

〇この世に執着がない!

 1573年に義昭は信長によって追放された後、河内若江から堺、紀伊由良(きいゆら)、そして毛利氏を頼って備後鞆津(びんごともつ)に移った。打倒信長を諸国の大名に呼びかけ、京都に復帰する日を待ちのぞんだ。それだけ将軍に執着し続けた…というイメージである。

 

 しかし、義昭は十二運星に「絶(ぜつ)」を持っており、地位や名誉、お金にあまり興味を持たなかった可能性がある。十二運星は輪廻転生を表しているが、「絶」はあの世の星。地位や名誉よりも自分が死んだ後のことを考えていたのだろうか。

 

 よって、筆者が考えるに、もし義昭が将軍に執着していたとすると、それは自分の名誉のためではあるまい。浮かばれなかった兄・義輝やご先祖、そして足利家の子孫の誇りのためにこだわり続けたと考えられる。

 

〇言ったことは信用される!

 命式表に「食神(しょくじん)」と「長生(ちょうせい)」を併せ持っているが、これは言ったことは信用される星。つまり、一言一言の力に説得力がある。先生やインストラクター、コンサルティングに向いている。

 

 以上、義昭を鑑定してきたが、リーダーに向くタイプではないが、バランスが取れて社会に適応できるタイプであることが明らかになった。現代であれば、例えば、一風変わった教育を実践する私立学校の教員やベンチャーのコンサルタント会社がオススメだ。生まれてきた時代と将軍という役回りが義昭に向いていなかっただけで、決して世間が思うようなただのバカ殿だったわけではあるまい。

 

 光秀と深い関わりのあった義昭を、大河ドラマ「麒麟がくる」では、俳優の滝藤賢一さんが演じる。脚本家の池端俊策さんも義昭には思い入れを持っているようだ。滝藤さんのイメージからすると、ちょっとクセがあるが眼光鋭く、頭がキレる…そんな義昭像になるのだろうか。世間のバカ殿のイメージが一掃されることを切に願う。

等持院内にある、足利家十五代の供養塔として代々伝わる十三重塔と著者/著者撮影

■四柱推命とは?

古代中国で生まれた「過去、現在、未来」を予見する運命学のひとつで、陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)をもとに、人が生まれながらにして持っている性格、能力、素質を理解し、その人の努力や経験で変わる後天的な運命までも予測することができる。

具体的には、生まれた日(生まれた年・月・日・時間)をもとに命式表(めいしきひょう)を作成し占っていく。なお、ここでは生まれた時間は鑑定に含めていない。

「国史大辞典」に記載されている生年月日を、「和洋暦換算事典」を用いて現行暦に換算し鑑定している。

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妃萃(本名:油川さゆり)(ひすい)
妃萃(本名:油川さゆり)ひすい

青森県八戸市出身。慶應義塾大学 社会学研究科 教育学専攻 修士課程修了、同研究科 同専攻 後期博士課程在学中。2013年鳥海流・鳥海伯萃より四柱推命の指南を受ける。これまで500人以上を鑑定。多数の弟子を輩出。

元放送局報道記者。フリーアナウンサーとして、BS11の番組にレギュラー出演しているほか、ナレーターや司会として活動中。日本の歴史、伝統芸能を伝えるため、歴史勉強会、その他イベントを主宰。自身も大和言葉、辞世の句、武田氏と油川氏等について講演活動を行う。合同会社真己、共同代表。また、2016年6月から「カミムスヒ」というソングユニットで歌手活動を開始。手話検定3級、ホームヘルパー、視覚障害者ガイドヘルパーの資格を持ち、社会福祉活動に積極的に携わる。

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