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歴史上の人物を四柱推命で鑑定!第77回~伊藤博文~

明晰な頭脳と実直さを兼備した大器晩成タイプ

貴重な海外経験を糧に農民の子から初代総理へ大出世

 

 今回は、第1代総理大臣・伊藤博文を四柱推命で鑑定する。農民の子から総理への大出世という経歴から、豊臣秀吉と並んで語られることも多い。その出世の背景には何があったのか、四柱推命で読み解いていく。

伊藤博文_国立国会図書館蔵

伊藤 博文(1530-1578

生年月日: 天保12年9月2日(和暦)
  1841年10月16日(グレゴリオ暦)

伊藤博文の命式表

 命式表の通変星と蔵干通変星から、博文の性格を簡単に表すと下記の円グラフのようになる。知性、行動力、人脈、自立心、遊び心の5つの星のうち、知性40%、自立心40%、行動力20%で、知性と自立心が高かったが、人脈と遊び心を持っておらず、性格のバランスはそれほどよくなかった。

 

伊藤博文の性格

知性…様々な分野の知識が豊富で、何かを学ぶことに喜びを感じる。頭の回転が速く、物事を論理的に捉えることが上手

 

行動力…頭で考えるよりも行動で結果を出す。未知の分野に挑戦する意欲が強く、交渉力や営業力を磨けば成功できる

 

人脈…さりげない気配りができて誰とでも仲良くなれる。サービス精神が旺盛でコミュニケーション能力も高く人を動かせる。

 

自立心…他人に依存することなく、自分が信じた道を突き進む強い精神性。リーダーシップを発揮しフリーで活躍できる。

 

遊び心…楽しいことを企画する等、生活に遊びを取り入れることが自然とできる。芸術面の才能があり、表現力が豊富。

 

 これらの材料をもとに、博文の性格を考察していく。

 

〇頭がいい!語学力抜群!

 知性の星40%で、命式表に「偏印(へんいん)」を2つ持っている博文は、生まれつき頭がよかったのだろう。偏印は、ひらめきの星であり、記憶力がよく学校の勉強ができるというよりは、企画力やアイディア力が抜群だったと推測される。確かに博文の才気は幼少期より目立っていたという。

 

 また、「偏印」は海外に縁がある星。語学力は抜群だったのだろう。1863年に半年間イギリスに留学するが、帰国してすぐ通訳として奔走。長州藩が最も窮地に追いやられているタイミングで、イギリスと接近する架け橋として活躍した。中学校、高校、大学とずっと英語を勉強し、今も勉強を続けているのに未だ日常会話しか話せない筆者からしたら、たった半年間の留学で通訳をするまでになる博文の語学力が羨ましくてならない。

 

〇海外が向いていた!

 先述のように、博文は命式表に「偏印」を2つ持っているが、個性的な面があるので、海外に向いている。

 

 もともとは攘夷思考であった博文だが1863年、22歳の時に半年間のイギリス留学、1871(明治4)年には、岩倉使節団としてヨーロッパやアメリカを歴訪した。その後、1882(明治15)年には、ヨーロッパの憲法を調査するため、12か月におよび、ドイツ、オーストリア、イギリス、ベルギー等を訪れている。当時の日本人としては大変珍しく、若いころから世界中を訪れていた。

 

 今とは違い、海外の文化や食事にほとんどなじみのなかった時代、海外に行くと環境になじめず、病気などで帰国する人も見られる中で、博文は海外の空気が性に合っていたのだろう。海外で見るもの、触れるものに感銘を受け、様々なアイディアを得たものと思われる。

 

〇一匹狼!人と群れない?

 自立心40%で、命式表に「比肩(ひけん)」を持っている博文。リーダーシップを持っている一方で、一匹狼、独りよがりで他人に依存しない性格だったと予想される。

 

 博文は松下村塾で学ぶも、18歳の時に、安政の大獄で師匠・吉田松陰を亡くした。その後、松下村塾生は激しい攘夷運動を繰り返す。当初は伊藤も傾倒し、品川御殿山の英国公使館焼き討ちに参加した。

 

 しかし、その後、博文は同門と袂を分かつ。もう一人の師匠・来原良蔵に影響を受けたとも言われるが、1863年に井上馨らと共にイギリスへ留学したのだ。

 

 つい、ちょっと前までは敵国と認識していたイギリスに出向くとは、驚くべき行動であるが、こうと決めたら頑として突き進むタイプなのだろう。松下村塾の四天王、久坂玄瑞に、「攘夷より他に道はない」と説得されたようだが、耳を貸さなかったという。人に左右されず、自分の思う道を進む一匹狼だったのだろう。

 

〇真面目な性格

 行動力20%で、命式表に「正官(せいかん)」を持っている。正官は真面目なお役人タイプ。礼儀正しく、几帳面な性格だったと予想される。博文といえば、明治天皇から厚い信頼を得た人物。真面目で実直な性格のゆえんだろうか。

 

 1889(明治22)年、博文は列強との軋轢が生じ戦争となることを危惧し、当時、大隈重信外相が行っていた条約改正交渉を中止させた。このことが原因で黒田内閣が倒れたことで薩摩の恨みを買い、最終的に博文自身が第一議会の首相になる機会を失った。自分が首相となることよりも、外交関係を要視したゆえの決断であった。このように、あえて自分にとって不利なことであってもやるべきことはやるという実直な博文の行動を、明治天皇は高く評価したようだ。

 

〇意外にもコミュニケーション能力が低い!?

 人脈を持っていない博文。そのため、それほどコミュニケーション能力は高くなかったかのように思われる。しかし、政治家にとって接待は大仕事のひとつ。陽気な性格で知られる博文だが、もしかしたら接待を苦手としていた可能性がある。

 

 博文は大のビール好き。晩酌は欠かさず、宴会の場ではしばしば子どものようにはしゃいでいたと言われる。もしかしたら、ビールを飲むことで、苦手な人付き合いとうまく向き合っていたのかもしれない。いつの時代も飲みニケーションは大事なようだ。

 

〇大器晩成タイプ

 命式表の十二運星に「冠帯(かんたい)」を2つ持っているが、これは女王様の星と呼ばれ、王様の星・「帝旺(ていおう)」、王子様の星・「建禄(けんろく)」と並んでエネルギーが強い。中でも「冠帯」は中年以降に成功できる星。

 

 吉田松陰が久坂玄瑞宛の手紙で博文についてこう話している。

 

「才劣り幼きも、剛直にして華なし、僕頗る之れを愛す」(才能は劣り学問でも未熟だが、剛直な性格で地味だ。僕はこの弟子をとても愛している)

 

 秀才ばかりの松下村塾の中で、博文は当初それほど目立つ存在ではなかったようだ。博文には吉田敏麿という幼馴染がいたが、彼には勝てなかったという。敏麿は、塾の四天王の1人と言われるので、相当レベルの高い話なのであろうが…。

 

 しかし、四天王たちも、尊王攘夷運動の中で次々と散っていく。そんな中、いち早く開国派に転じた博文は、生きながらえることができ、1885(明治18)年、44歳で初代内閣総理大臣となった。その後も、第5代、第7代、第10代と4度の総理大臣を経験している。大日本帝国憲法の発布に尽力し、日本が列強入りを果たすきっかけとなった、日清戦争、日露戦争にも関与し、まさに近代日本の礎を築いた人物といえる。

 

 なお、松陰は玄瑞にあてた手紙に、博文についてこうも書いている。

 

「利介(後の博文)亦進む、中々周旋家になりきふな」(博文はまた学問が進歩した。なかなかの交渉役になりそうだ)

 

 もしかしたら、松陰は博文の政治家としての才覚に気づいていたのかもしれない。

 

〇おしゃれ好き

 先に述べたように、「冠帯」を2つ持っている博文。女王様の星を2つ持っているということで、おしゃれ好きで、色やデザインにはこだわりがあったことと思われる。

 

 博文は、日本の生活習俗の西洋化にも取り組んだ。その象徴的な存在、「鹿鳴館」の建設にも博文は深く関わっている。しばしば夜会や舞踏会が催されたが、博文も蝶ネクタイにドレス・コートの姿で頻繁に参加していたという。博文がおしゃれだったのかどうか定かではないが、西洋風のおしゃれな迎賓館で着飾って参加する社交パーティーを楽しんでいたことと思う。

 

 今回は、伊藤博文を四柱推命で鑑定してきたが、博文が大出世を果たした背景には、性に合う海外に何度も足を運べたことや、人と群れない頑固で一匹狼の性格があることが明らかになった。機会に恵まれたことはあるだろうが、人に影響されずに強い精神性を保ち続けたことが成功の秘訣だったのだろう。心から敬意を表したい。

 

 ところで、近代日本の創成に尽力した博文は、1908(明治42)年1026日、ハルピン駅において、韓国人の安重根に狙撃されて亡くなった。博文は韓国併合には反対していたが、最終的にこのことが韓国併合のきっかけとなってしまった。日本、韓国、北朝鮮…隣国同士でありながら国境以上の深い溝がある今の関係性を、博文はどう見るだろうか。

 

■四柱推命とは?

古代中国で生まれた「過去、現在、未来」を予見する運命学のひとつで、陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)をもとに、人が生まれながらにして持っている性格、能力、素質を理解し、その人の努力や経験で変わる後天的な運命までも予測することができる。

具体的には、生まれた日(生まれた年・月・日・時間)をもとに命式表(めいしきひょう)を作成し占っていく。なお、ここでは生まれた時間は鑑定に含めていない。

「国史大辞典」に記載されている生年月日を、「和洋暦換算事典」を用いて現行暦に換算し鑑定している。

■用語説明
日柱の干支:その人の本質を表す重要な部分

主星(しゅせい):月柱の蔵干通変星で、その人を表す最も重要な星。主に仕事運を表す。

自星(じせい):日柱の蔵干通変星で、その人のプライベートな部分の性格を表す重要な星。

 

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妃萃(本名:油川さゆり)(ひすい)
妃萃(本名:油川さゆり)ひすい

青森県八戸市出身。慶應義塾大学 社会学研究科 教育学専攻 修士課程修了、同研究科 同専攻 後期博士課程在学中。2013年鳥海流・鳥海伯萃より四柱推命の指南を受ける。これまで500人以上を鑑定。多数の弟子を輩出。

元放送局報道記者。フリーアナウンサーとして、BS11の番組にレギュラー出演しているほか、ナレーターや司会として活動中。日本の歴史、伝統芸能を伝えるため、歴史勉強会、その他イベントを主宰。自身も大和言葉、辞世の句、武田氏と油川氏等について講演活動を行う。合同会社真己、共同代表。また、2016年6月から「カミムスヒ」というソングユニットで歌手活動を開始。手話検定3級、ホームヘルパー、視覚障害者ガイドヘルパーの資格を持ち、社会福祉活動に積極的に携わる。

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