歴史上の人物を四柱推命で鑑定!第76回~上杉景勝~
寡黙なイメージで描かれる景勝、知性は謙信の5倍! 遊び心もあり霊感に助けられたラッキー人生
個性を胸の内に秘めて寡黙な主君を演じる二代目
今回は、戦のカリスマ・上杉謙信を継いだ二代目、上杉景勝を四柱推命で鑑定する。寡黙な人物と伝わる景勝だが、鑑定の結果、それは作り上げられた性格である可能性が浮かび上がった。
上杉景勝(うえすぎかげかつ)
生年月日:弘治元年11月27日(1556年1月18日)
景勝の生年月日から命式表を割り出すと上記のようになる。この中で、性格を表す、通変星・蔵干通変星をわかりやすく円グラフに表すと下記のようになる。
知性…様々な分野の知識が豊富で、何かを学ぶことに喜びを感じる。頭の回転が速く、物事を論理的に捉えることが上手
行動力…頭で考えるよりも行動で結果を出す。未知の分野に挑戦する意欲が強く、交渉力や営業力を磨けば成功できる
人脈…さりげない気配りができて誰とでも仲良くなれる。サービス精神が旺盛でコミュニケーション能力も高く人を動かせる。
自立心…他人に依存することなく、自分が信じた道を突き進む強い精神性。リーダーシップを発揮しフリーで活躍できる。
遊び心…楽しいことを企画する等、生活に遊びを取り入れることが自然とできる。芸術面の才能があり、表現力が豊富。
これらを見ながら、景勝の特徴を考察していく。
〇霊感を持っていた!?
景勝は日柱の干支に「丁亥(ひのとい)」を持っている。これは異常干支と言い、精神面で他人と異なる個性を持つと言われる。中でも「丁亥」は霊感ナンバー1の星。景勝は霊感を持つスピリチュアルな人物だったのだろうか。
もちろん、景勝の霊感に関する記録は残っていないが、何かとラッキーが多いのが景勝である。当時の天下人・織田信長は、謙信から手取川で煮え湯を飲まされた経験があり、家臣の柴田勝家を差し向け、着々と北陸の攻略を進めていた。勝家のもとには、前田利家、佐々成政等有力武将もおり、景勝はいきなり越後国主として正念場を迎えたのである。
いよいよ形勢が悪くなってきた、天正10年6月2日、世紀の大事件・本能寺の変が起きる。信長が滅んだことにより、景勝は何とか難を逃れることができた。幸運としか言いようがない。もしもう少し長く信長が生きていたら、上杉家も武田家のように滅亡していた可能性が非常に高い。景勝は、時を読むのがうまかったのだろうか、先祖からの助けがあったのだろうか、優れた感覚の持ち主だった可能性もある。
〇知性50%!頭がよすぎた!
知性は、知識が豊富で論理的な思考が得意という星であるが、これを50%持っていた景勝は、非常に頭がよかったのだろう。しかも、景勝は性格に「行動力」の星を持っていないため、考えるだけ考える、石橋をたたくタイプだったと考えられる。
以前、ここで上杉謙信を鑑定したことがあるが、謙信の知性はわずか10%。頭のよさというよりはカリスマ性が目についた。戦国時代でも屈指の戦上手と称賛される謙信。謙信が思い付きで行動するタイプだとすると、景勝はよく考えて、考えた末に動くタイプだ。両者は全く違う統率者であったと考えられる。
謙信の急死から、戦国時代終焉にかけての重責を担うことになった景勝。常に頭の痛い問題を抱え、思い悩んだ人生だっただろう。
謙信は跡継ぎを定めていなかったことから、死後、謙信の養子・景虎との間で後継者問題が勃発。他藩を巻き込んでの壮大なお家騒動(御館の乱)の後、景勝が跡継ぎとなった。しかし、その後、家臣の新発田重家(しばたしげいえ)が御館の乱の恩賞に不満をもち、信長の誘いに応じて謀叛を起こした。当時、景勝の家臣団は近道を通るよう景勝に進言したが、「兵法に『迂を以て直と為すと云うことあり、危うき道に不意の患あり』がある。険阻な道を行けば不測の事態が起こる恐れがある」といって遠回りをした。現代のことわざで言う、「急がば回れ」である。案の定、新発田勢は近道に待ち伏せしていた。景勝は考えて考えた末に冷静な判断を下したのだ。考えすぎるのもよくないが、石橋をたたく慎重さも必要である。
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