×
日本史
世界史
連載
エンタメ
誌面連動企画

歴史上の人物を四柱推命で鑑定!第78回~伊達政宗~

攻撃的である一方、実は裏表がなくマイペース!?

圧倒的な行動力で奥州を制した一匹狼

 

 歴史上の人物に迫るには様々なアプローチがあるが、この連載では四柱推命(しちゅうすいめい)という手法を用いて、歴史上の人物がどんな性格であり、なぜ成功したのか(失敗したのか)を読み解く。※四柱推命と用語の説明はページの最後をご覧ください

 

 今回は、独眼竜でお馴染み、奥州を征した伊達政宗を四柱推命で鑑定する。彼がもう少し早く生まれていたら…という識者の声は多い。信長よりも33歳、秀吉より30歳、家康より25歳年少であるものの、若い頃の活躍ぶりは信長、信玄、謙信よりも目覚ましい。名だたる武将達から一目置かれ続けた、政宗の性格やいかに?

仙台市・仙台城本丸の伊達政宗騎馬像

伊達政宗(だてまさむね)

生年月日: 永禄1083日(和暦)

     1567915日(グレゴリオ暦)

伊達政宗の命式表

 政宗の生年月日から命式表を割り出すと上記のようになる。この中で、性格を表す、通変星・蔵干通編星をわかりやすく円グラフに表すと下記のようになる。行動力60%、人脈20%、自立心10%、遊び心10%、知性0%という結果になった。

伊達政宗の性格

知性…様々な分野の知識が豊富で、何かを学ぶことに喜びを感じる。頭の回転が速く、物事を論理的に捉えることが上手

 

行動力…頭で考えるよりも行動で結果を出す。未知の分野に挑戦する意欲が強く、交渉力や営業力を磨けば成功できる

 

人脈…さりげない気配りができて誰とでも仲良くなれる。サービス精神が旺盛でコミュニケーション能力も高く人を動かせる。

 

自立心…他人に依存することなく、自分が信じた道を突き進む強い精神性。リーダーシップを発揮しフリーで活躍できる。

 

遊び心…楽しいことを企画する等、生活に遊びを取り入れることが自然とできる。芸術面の才能があり、表現力が豊富。

 

 これらを材料に、政宗の性格を読み解いていく。

 

〇行動力60%!攻撃性が高い!

 行動力が60%と、性格のほとんどを占めているように、政宗は頭で考えるよりまずは行動を起こすタイプだったのだろう。命式表で一番大事な部分、主星(月柱の蔵干通編星)と、次に大事な部分、自星(日柱の蔵干通編星)に「偏官(へんかん)」を持っているが、「偏官」は、短気で攻撃本能が強く、野性的な性格。こうと判断したら突き進むタイプと言えるだろうか。

 

 この性格が政宗の強さのゆえんとも言えるだろう。政宗が当主となってから、勢力拡大のために戦が増えていく。政宗が生涯で経験した戦の数は約20だが、敗北を喫したのは、1度(21歳の時の大崎合戦)のみ。

 

 代表的な戦いとして、19歳の時、大内定綱との間で起きた小手森城の戦いがある。定綱の裏切りを知り、小手森城を攻撃した。政宗は自ら最前線で戦い、鉄砲(約八千丁)等で攻撃し、たった1日で城を落とした。政宗は城主の菊池顕綱をはじめ多くの武将の首をあげただけでなく、城内にいた女、子どもまでも殺害したと伝わっている。その数は1000人とも言われ、後世には「小手森城の撫で切り」として語り継がれている。血気盛んな19歳・政宗の大暴れ、行動力60%という結果がよく表れた戦だと思う。

 

〇意外にも知性0%

 策略家、謀略家として知られる政宗であるが、意外にも知性は0%だった。上記で説明した、小手森城の戦いに見られるように、本来の性格は勢いで行くタイプなのだろう。しかし、年を重ねるにつれ、頭を使うことも覚えていったのだろうか。

 

 父・輝宗は、1572(元亀3)年、政宗が6歳の時に、師として僧・虎哉宗乙(こさいそういつ)を招聘した。虎哉は一度は辞退するものの、輝宗に熱心に請われ、奥州に赴き、1611(慶長16)年に82歳で世を去るまで、政宗にとって師であり続けた。この輝宗の采配が功を奏したのだろう。虎哉は教育者に留まらず、政治外交、戦略の顧問、文学者としても活躍した。師があってこその政宗であるということがよくわかる。

 

 父を亡き者にした畠山義継に対し、怒り心頭の政宗は、吉継の目をくり抜き、両耳を削ぎ落とした無惨な生首で城下に晒したという(諸説あり)。しかし、この行き過ぎた報復は義継の遺児への同情を集め、治まりかけていた二本松周辺を混乱の渦に戻してしまった。

 

 この時虎哉は政宗を棒で打ち据え、「気持ちはわかるが感情にまかせた無自覚なふるまいにより無用な戦と犠牲者を生む」と戒めたという。虎哉の教えにより、政宗は本来の攻撃的な性格から、頭を使った戦ができるようになっていったのだろうと考えられる。

 

〇裏表のない性格!

 先に出てきた主星と自星であるが、主星は仕事等のオフィシャルな性格を表し、自星は趣味や恋愛等プライベートな性格を表す。政宗は、主星と自星にいずれも「偏官」を持っている。つまり、オフィシャルな面(表)も、プライベートな面(裏)も変わらず、行動的で攻撃的な性格の持ち主であると言える。

 

 策略家のイメージの強い政宗であるが、どんな場面でも常に素の自分で相手と接していたのだろうか。大阪の陣で、敵方であった真田幸村が、自分の息子を政宗に預けたのもうなずける。

 

〇偏官+比肩!エネルギー大爆発の危険な組み合わせ!?

 政宗は命式表に「偏官」と「比肩」を併せ持っているが、この組み合わせは危険と言われる。どちらもエネルギーの強い星で、組み合わさることで大爆発を起こすイメージである。なお、筆者は鑑定を行う際に、「偏官」と「比肩」を持っている人がいたら、「DVになる可能性があるので運動してストレス発散するようにしてくださいね」とアドバイスをするようにしている。この星のイメージが伝わるだろうか。

 

 師・虎哉の教育のお蔭もあり、随分丸くなった政宗。しかし、気に食わないことがあると感情をコントロールできず、暴れん坊の性格が露呈することもあったのだろう。大坂夏の陣において、政宗は大阪城突撃の際、前にいて邪魔になったという理由で、味方の神保隊を皆殺しにしたというエピソードも残っている。

 

〇絶2つ!この世に執着がない!?

 命式表の十二運星に「絶(ぜつ)」を2つ持っている政宗。「絶」はあの世という意味を持つように、「絶」を持っていると精神的孤独が強く、一般的な生活になじめない。現世やお金に執着するよりも、先々のことを見通して生活していたのだろう。むしろ、武将よりもお坊さんが向いているタイプだ。

 

 小説やドラマ、映画の影響か、政宗は、天下人になれなかったことを悔いて生きていった印象があるが、三代将軍・家光に戦国時代について面白可笑しく聞かせる等、人生を謳歌したようである。また、民政に積極的に介入し、塩田で塩を作ったり、植樹をしたり、鉱山を開発したりと、現在の仙台の礎を築いた。後世の伊達藩、民を思いやってのことだろう。

 

 政宗が秀吉の怒りを買った際、2度に渡って白装束の恰好で赴いたエピソードは有名であるが、笑わせるためではなく、本当に死んでも構わないという覚悟を持っていたのだろう。だからこそ、秀吉も彼を許したものと思う。

宮城県松島・みちのく伊達政宗歴史館館内に展示されている白装束の伊達政宗公(著者撮影)

〇一匹狼のマイペース!

 命式表に「比肩(ひけん)」を持つ政宗。比肩は、自立心の星であるが、職人気質で一匹狼、人と群れるのを嫌い、自分独自の道を進むマイペースな性格を持つ。

 

 当時、東北は未開の地というイメージが強く、どこに行っても田舎者とバカにされたという。中には、外に出るのが嫌になり引きこもりになってしまった家来もいた。しかし、政宗はこの嫌味を全く気にしなかったどころか、開き直ったかのようにかぶいて見せた。

 

 また、朝鮮出兵で渡海した際には多くの武将が不平不満を抱く中、政宗は大喜び。政宗は朝鮮で西国の大名の築城術を吸収し、母親に土産物を探し回った。そのマイペースぶりがよくわかる。なお、母親との不仲説が一般的だが、朝鮮に渡った我が子を心配し、現金と和歌を送る等、そうでないことを証明する資料も多く残っている。

 

〇食を大事にした!

 命式の中に「食神(しょくじん)」を持っている政宗。この星は遊びの星であり、大らかで遊ぶのが大好きという意味を持つとともに、食の神と書く字のごとく、食に興味があり、グルメで料理好きである。

 

 やはり、政宗は「料理男子」だったという話が残る。戦国時代において、男性は戦、女性は家事というイメージがあるが、意外にも当時は料理が大名のたしなみとも言われ、料理のできる武将自体はさして珍しくなかったそう。しかし、その中でも政宗の料理好きは頭一つ抜けており、日夜料理の研究に勤しんでいたという。

 

 特に味噌に対してのこだわりは強く、仙台の城下町に味噌の醸造所を作らせた。味はもちろん、合戦を意識し、保存性にも気を配っていたという。こだわり抜かれたその品質は非常に高く、朝鮮出兵の際、他の武将が持参した味噌は暑さで腐っていく中、政宗の「仙台味噌」は全く問題なく食べられ重宝されたというエピソードが残っている。

 

 以上、今回は伊達政宗を四柱推命で鑑定してきたが、政宗のイメージとは違う人物像を垣間見た。行動的、攻撃的な点は予想通りだったが、現世に執着せず、のらりくらりと生活してきたところや、表裏のない素直な性格は、新たな発見であった。歴史に名を残す大物であるほど吹聴され、史実と異なって伝えられるものであるが、政宗もその典型であろう。

 

「曇りなき心の月を先だてて 浮世の闇を照らしぞ行く」。政宗の時世である。これを諦めととる人も多いが、筆者としては最大の人生謳歌の表れであると考える。

宮城県松島・みちのく伊達政宗歴史館館内に展示されている伊達政宗公と著者(著者撮影)

■四柱推命とは?

古代中国で生まれた「過去、現在、未来」を予見する運命学のひとつで、陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)をもとに、人が生まれながらにして持っている性格、能力、素質を理解し、その人の努力や経験で変わる後天的な運命までも予測することができる。

具体的には、生まれた日(生まれた年・月・日・時間)をもとに命式表(めいしきひょう)を作成し占っていく。なお、ここでは生まれた時間は鑑定に含めていない。

「国史大辞典」に記載されている生年月日を、「和洋暦換算事典」を用いて現行暦に換算し鑑定している。

■用語説明
日柱の干支:その人の本質を表す重要な部分

主星(しゅせい):月柱の蔵干通変星で、その人を表す最も重要な星。主に仕事運を表す。

自星(じせい):日柱の蔵干通変星で、その人のプライベートな部分の性格を表す重要な星。

 

KEYWORDS:

過去記事

妃萃(本名:油川さゆり)(ひすい)
妃萃(本名:油川さゆり)ひすい

青森県八戸市出身。慶應義塾大学 社会学研究科 教育学専攻 修士課程修了、同研究科 同専攻 後期博士課程在学中。2013年鳥海流・鳥海伯萃より四柱推命の指南を受ける。これまで500人以上を鑑定。多数の弟子を輩出。

元放送局報道記者。フリーアナウンサーとして、BS11の番組にレギュラー出演しているほか、ナレーターや司会として活動中。日本の歴史、伝統芸能を伝えるため、歴史勉強会、その他イベントを主宰。自身も大和言葉、辞世の句、武田氏と油川氏等について講演活動を行う。合同会社真己、共同代表。また、2016年6月から「カミムスヒ」というソングユニットで歌手活動を開始。手話検定3級、ホームヘルパー、視覚障害者ガイドヘルパーの資格を持ち、社会福祉活動に積極的に携わる。

最新号案内

歴史人 11月号

戦国武将の国盗り変遷マップ

応仁の乱から大坂の陣まで戦国史を地図で読み解く